Aerodynamik - 航空力学

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先日のケータイ小説エントリについて、あと最近の心情とか


ネット上の半径ワンクリック以内、そして基底現実での自分の友人の間では、「ケータイ小説は読むに値しない、ガキのオナニー」が共通認識になっていて、「じゃあ何でそんなものがこんなに持て囃されるんだよ、なんかそれなりに人を引き付ける何かがあるんだろ」という話になったのだが、「馬鹿にはあれで丁度いいんじゃね?」などという意味のない会話以上のものにならなくてがっかりした。
実際そういうことについて真面目に分析しているところが見つからなかったので、また勢いだけでエントリ書いて、誰か文学に詳しい人が見てくれたらいいなあと大げさにタイトルを付けてみたら、結果トラバ先とブクマコメントで沢山の意見を拝見することができた。Web2.0面白いなあ。10年前のテキストサイト時代なら嫌がらせみたいなメールが数通届くだけだったよ。




「パンクとかと比較してる時点で文学じゃないからお門違い」とかは自分が文学疎いので勘弁してください。世代認識は音楽で図る人種なので。
エロなら川端谷崎その他幾らでもあるし、コバルトの件も昔読んだことあるので知ってました。告白系エロ文学が、稚拙なものも含めて昔からあるのはそりゃ当たり前。人間の性だから。


それよりも実際ケータイ小説を読んでみて衝撃的なのは、人をして「読むに耐えない」と言わせるまでの、ケータイ小説におけるある種奇妙な文体ではないかと思う。よく言われる、「携帯電話の画面で読むのに丁度いい」とかいう理由だけでは、書籍版があれだけ売れる説明にはならない。あれはなにかもっと別の、文章の認識能力や文章の構築能力に変化が起こっているんじゃないかと思う。携帯メールやmixiなどで短文暗号的な文章に特化した、位の考察しかできない。だれかこの辺掘ってくれる人いないかなあ。


あと、「後世に残るかどうかで評価」という意見も割と多かったのだけれど、それは違う気がする。「後世に残るもの」と「良いもの」は似て非なるものだと思っている。その時代の空気でしか存在し得ない、ほかの時代では存在すら許されない、だけけど凄まじいパワーを持って、ほんの数ヶ月間だけ輝くものがある。例えがまた音楽で悪いけど、クラブミュージックのほとんど全てがそうだ。どんなに持て囃されても、旬を過ぎたレコードは100円にもならない。アイドルだってそうだろう。村上春樹の作品に「時間は有限だから、時代に淘汰された作品しか読まない」人が出てくる。理論的には良く分かるが、今この瞬間に輝いているもの、それを目にせずに生きるなんて、枯れ過ぎにもほどがある。


それをミーハーと言うならそれでかまわない、書を捨てて街に出よう。さあ、雑誌に載ってたとてつもなくおいしい「スイーツ(笑)」とやらを食べに行こうじゃないか。俺は漉し餡だけが好きで、甘いものは苦手だが、それでも俺を納得させてくれるケーキがあるなら食べてみたいものだ。俺でも泣けるエロゲーがあるなら泣いてみたいし、俺でも感動できるケータイ小説があるなら立ち読みじゃなくて買って読みたい。もっと素直になって、今輝いているものを受け入れてみたい。偏見を超えたところに感動を見つけられるかもしれない。Perfumeとか。