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Aerodynamik - 航空力学

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Perfumeのメジャーデビューを巡る、Amuseと徳間の関係、そして徳間の志向を探る@Original Confidence 2008/02/18号

Perfume

Perfumeブレイクの立役者の一人が語るヒットの哲学
「熱意を持つ若い人間の後ろ盾になってあげるのが“大人”のスタッフの果たす役割」
篠木雅博氏(TJC執行役員 制作宣伝本部長代理)


Original Confidence 2008/02/18号に掲載された、Perfumeの所属レコード会社である徳間ジャパンコミュニケーションズの取締役、制作宣伝本部長代理(現制作本部本部長)の篠木雅博氏の貴重なインタビュー。ちょっと前の物だけれど、週刊誌なのに定価5000円もするわ、業界誌なのでなかなか中古市場にも出てこないわで、最近になってようやく入手。これを元に、Perfumeのメジャーデビューを巡る経緯や徳間の志向をを見てみる。



そもそも何故にPerfumeは徳間からデビューしたのか


Perfumeから、「徳間よりメジャーデビュー」と発表された当時、ファンは大いに不安を感じたという。徳間は、ルーツであるミノルフォン時代からの千昌夫を筆頭とする演歌と、徳間書店グループ時代からのジブリ関連のイメージがいまだに強い。(2001年には第一興商に株式譲渡されているが、ジブリ音源はいまも徳間から出ている。)そういう会社がアイドルを売る事ができるのか?当然の不安だ。


当時、PerfumeとともにAmuseのBEE-HIVEプロジェクトに所属していたBuzyBoystyleを見てみると、Boystyleは2002年、Buzyは2004年にテイチクエンタテインメント傘下のImperial RecordsからCDデビュー/メジャーデビューを果たしている。(ちなみにBEE-HIVE立ち上げ前のColorはWarner Music Japan) しかし、同時期のPerfumeは、Imperial RecordsからCDを出す事ができず、AmuseとCulture Convenience Clubによりこのプロジェクトのために立ち上げられたインディーズレーベルBEE-HIVEレコードから2003年8月に「スウィートドーナッツ」をリリースする事になる。


Perfumeは何故Imperial Recordsからデビューしなかったのか。あるいは、デビューできなかったのか。真相は今のところ知る由もない。Perfumeが最初にヤスタカとレコーディングしたのは3曲。木の子トークとライブ披露のタイミングから推測すると、「モノクロ」と「レシピ」「ドーナツ」か。あるいは広島からの持ち歌「ジェニー」か。これらの音源と、広島から出てきたばかりの3人をみて、メジャーデビューさせるに値しないと判断したのはAmuseか、Imperial Recordsか。


とにかく、PerfumeはメジャーデビューできずにそのままBEE-HIVEレコードからもう2枚リリースが続き、メジャーデビュー先を「必死になって」探していたPerfumeスタッフが話を持ちかけたのが、件の篠木氏。

Perfumeを担当することになった経緯は。


篠:Perfumeアミューズの所属タレントさんで、私は今の会社の前にリワインドレコーディングスという、アミューズとビクターさんが共同出資して作った会社で制作部長をしていたんです。その当時からお付き合いがあったアミューズのスタッフ3人が「何とかして売り出したいユニットがある」ということで、私のところに相談にきてくれたというのが最初です。04年9月のことです。


−既にインディーズで活動を?


篠:中田ヤスタカさんのサウンドプロデュースで、「BEE-HIVEレコード」というインディーズレーベルで既にCDを3枚リリースしていました。テクノサウンドに乗せた近未来型アイドルというポジションで、秋葉原のコアな層を中心に展開していたようです。

篠木氏とAmuse/Perfumeスタッフを繋ぐもの、それはRe-Wind Recordingsだった。


Re-Wind Recordingsは、Amuseとビクターエンタテインメントの共同出資で1999年に作られた、ストリート系音楽に特化した戦略を掲げていたという制作会社。自分の印象では、ストリートというよりも、細野晴臣主宰のDaisyworld Discs、シナジー幾何学亡き後の第2期デイジーが思い出深い。「Hosono Box」や、Pre-YMO「InDo」なんかもここから出ていた。篠木氏は、渡辺プロを経て東芝EMI椎名林檎をデビューさせた後、制作部長としてRe-Windに移り、ここでAmuse/Perfumeスタッフとの繋がりができていたという事になる。なお、この会社は2002年に解散。*1 その後徳間に移った篠木氏を、Perfumeスタッフが頼っていったということか。
Amuseの関連会社としての人脈、また、元Re-Windという、ある意味「尖った音」に理解を示す人、という部分も重要であったのだろう。そして、この部分がImperial Recordsに無かった所なのかもしれない。



徳間内部での評価と、Amuseスタッフの情熱

−聴いてみてどう感じましたか。


篠:正直、直感が働いたとか、確信が持てたというおこがましいものではなくて(笑)。世代も違いますし、正直、我々の年代からはわかりづらいことは確かですよね。だから、当社の編成会議ではいろいろな意見が出るであろうことは予測できました。とにかく音を聴いてみて、それから原宿や秋葉原などへ彼女たちのライブに何度も見に行ってみたわけです。


−そこから決断に至ったポイントは。


篠:相談に来てくれたアミューズのスタッフの情熱ですね。これがすべてかもしれません。旧世代の価値観だけでPerfumeを評価してしまうと芯が見えてこない。最後は「おもしろいから、やってみましょう」と(笑)。そう社内会議で言ったのを覚えています。

篠木氏を口説いたのは、初代チーフマネージャーの故・中村新一氏、初代マネジャーの石井氏、そして、同年にAmuseに入社したばかりの、二代目マネージャー山本史朗 aka もっさんの3人。3人の情熱が、篠木氏経由で、演歌とジブリの徳間を、最終的には「おもしろいから」という理由で動かした。そこには篠木氏の、「大人」としての若手の情熱の受け止め方があった。



若者に託すということ

−理解されづらいものを勧めるのは大変勇気がいったのでは?


篠:会社というのは、どうしてもこれまでの経験地や実績をもとに”大人の解釈”をしてしまいがちなんです。たとえば今回のPerfumeであればテクノサウンドが特徴なわけですが、YMOのテクノを今の10代は知らないからウケるだろうとか、そういう解釈や理論付けをしたがる。確かにそれも必要ですが、感性をすべて理解しきるのは難しい。ならば、最後は情熱を持って一生懸命取り組んでいるスタッフの気持ちを感じ取り、分からない文化を受け止める勇気も必要だと思うんです。熱意を持つ若い人間の後ろ盾になってあげるのが”大人”のスタッフの果たす役割ではないかと。
Perfumeは「アキバ」や「近未来」がキーワードのユニットですので、当時のつくばエクスプレス開通とタイアップして「リニアモーターガール」(メジャーデビュー曲タイトル)という展開はどうかとか、私もいくつか私見をまとめてスタッフに伝えた経過はありますが、総合プロデューサーというようなおこがましいものではなく、基本的には若い方に任せてきました。


−プロデューサーがすべてを統括していたという図式ではなく?


篠:違いますね。音やPV映像、方向性などを分担してそれぞれの分野のスタッフが打ち出してゆく。中田ヤスタカさんも別のインタビューで言っていましたが、Perfumeに関しては誰がプロデューサーかわからないと(笑)。あとは、木村カエラさんのラジオのほか、「アキバ」という価値観にも通じると思いますが、iTunesやネットの掲示板というWebの世界と通じて人気が広まったと言うのも時代の特性です。そういう意味でも、旧来の動きとは異なっているわけで、そうした時代感覚を敏感に感じ取っている若いスタッフを下から支えてあげるということが大事だと思います。

Perfumeが、つんく秋元康小室哲哉のような統括プロデューサを持たず、各分野ごとの若手スタッフの集合体でいられるのは、篠木氏のこの考え方によるものか。




さらに、「近未来」戦略についての重要な発言。テクノポップ路線を敷いたのは、おそらくAmuse新人発掘/育成担当である元ジューシィ・フルーツ柴矢俊彦氏からのアイディアがベース。そしてさらに明確に「近未来」を打ち出した、いわゆる「フィフス・エレメント」構想が誰の意思によるものなのかは分からないが、ここまでの流れを見ると、現場レベルからと考えるのが適切なのだろう。しかし、「アキバ」×「近未来」=「つくばエクスプレス開通」→「リニアモーターガール」という直球を投げたのは、篠木氏。現場の熱意を、具象的なビジョンに落とし込むという、非常な重要な部分は彼の仕事によるものだった。
また、「旧来の動きとは異な」り、「Webの世界と通じて人気が広まった」ということ、逆に言えば、旧来のやり方が通用しない事も、徳間は十分に認識しているようだ。



マイノリティとポピュラリティのコントロール

−マイノリティの価値を認める難しさを感じますか?


篠:レコード会社も営利目的の企業である以上、ポピュラリティは無視できませんが、いつの時代もヒットするものと言うのは瞬間的にはマイノリティなんです。世の中の全員が好きにならなくても、10人に1人が猛烈に惚れこんでくれる価値観は大事です。会社の中の人間がすべて同じポピュラリティの方向を向いていたとしたら、上に立つものがそれをコントロールしつつ、いかにマイノリティを拾い上げられるかが大事。そこから最大公約数でない面白いものが生まれる。クリエイターが面白いものを作る手助けや環境作りのための最後の一押しですね。

はっきりいって、日本のアイドル歌謡の中で、Perfumeほどマイノリティとポピュラリティのコントロールの難しいユニットは他に無いだろう。
アイドルファンとクラブミュージックファン、一般的なJ-POPファン、すべてを抱え込むPerfume。どっちに倒れても飽きられる、その微妙な綱渡りの舵取りは、篠木氏や白石氏に委ねられている。



人との繋がり

−プロデューサー業で最も大事なものは何だとお考えですか?


篠:一つに絞るのは難しいですが、最終的には人のつながりでは。音楽業界はいいときも悪いときもあるが、谷間と言われる今の時代だからこそ、人とのいい繋がりがいい仕事を生む。
会社同士ではなく、日々の個々人の付き合いが大きな流れを生み、その延長にヒットが生まれる事もある。人の心象風景を作る音楽の世界だからこそ、人間を大事にしなければならないと思いますよ。


−そういう意味では、今回のPerfumeはまさに人の繋がりから生まれたプロジェクトです。


篠:大事なのは、私のところへ話を持ってきてくれたということ。私がもし音に違和感を持ったとしても、気持ちの部分を分かってくれるはずだと、彼らが思ってくれたのであればそれがうれしい。根っこにあるのは、当時話を持ちかけてくれたアミューズの中村チーフ、石井、山本の三氏の情熱です。中村さんは、実は昨年他界していますがきっと喜んでくれていると思います。Perfumeはメンバーが小学生の頃からアミューズが発掘して育て、アミューズスクールの一期生としてトレーニングされ、8年目にしてようやく芽が出た。亡くなった彼はそのマネージャーでした。彼にもブレイクしたところを見せてあげたかった。それが今、非常に残念です。

「Prima Box」のクレジットには、「Great Dedication to Shinichi Nakamura (1957-2007)」との記述がある。彼の尽力、そして篠木氏への売り込みがなければ、今のPerfumeは存在していない。




それにしても、ファンを不安にさせた徳間からのメジャーデビュー。アイドルの売り方が分からない徳間は、旧いフォーマット、型にはまったメディア上での短期消費型戦略を取らず、まるで演歌のように地道で気の長い戦略を取った。この事が後に功を奏すると、当時誰が想像できただろうか。




リニアモーターガール

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