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Perfumeの解散危機は本当に存在したのか?@Perfume LOCKS! 100930

http://www.tfm.co.jp/lock/perfume/


過去10年間を1年づつ振り返る企画、今回は2006年。
「Complete Best」リリース時の、「いつ広島に帰されるのかと怯えていた」と語られてきた時期が、今回はこれまでとはかなりニュアンスの異なる語り口で回想された。


2006年は、

  1. ライブの動員が徐々に増えていった
  2. 西脇さんと大本さんの二人で青山スパイラルでのCapsuleのライブを観て、「めっちゃ楽しい、テクノって凄い」と、この時点になって初めて「テクノ」の良さをやっと理解し、改めて自分達が理解できなかった過去の持ち曲の「かっこよさ」という面を認識できた
  3. 「コンピューターシティ」で初めて自分達の曲を好きになれた、またそれにより自信を得られ、皆に聴いてほしいと思うようになった

という、売れないインディーズ時代、戸惑いのメジャーデビューを乗り越えたPerfumeが、少しずつ走り出した時でもあった。そこでの「解散説」である。

あ:1stアルバム、「Perfume Complete Best」をリリースと。初めてのアルバムにして、「Best」。


か:しかも「Complete」って言っちゃいましたからね。一時期ね、あの、ファンの人の中から、「解散するんじゃないか」っていう噂がね、凄い流れて


の:あったー。あったし言われたし。


あ:言われた。


か:握手会で凄い言われたよね。「解散しないでね」みたいな。


の:あのー、ライムスターの宇多丸さんに言われたの凄い覚えてる。なんかの対談の時に、「解散するの?」。ほんとに、取材が終わって、ちょっと団欒の時に、「解散すんの?」って、言われて。でもその時にはもう、こっち的には「チョコレイト・ディスコ」のね、その次の年のリリースが決まってたから、「いや解散しないです」ってちゃんと言えたけど。


か:全然そんなこと無い。


の:みんなね多分解散すると思ってた。


あ:やー、すると思うよ。


か:今までがね長かったから、おさらいして整理して、名刺代わりの一枚として、で、新曲「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」を入れて、「これから次に進んでいくよ」っていう、まとめをしたっていうつもりだったんだよね、こっちからすると


あ:インディーズの時の曲も沢山あるし、だけど中田さんが作ってくれてるから、そこも聴きたいって言ってくれる声も凄い多くて、それをちゃんと整理しておかないと、今後リリースは出来ないみたいな。イコール、そのシングルがもう廃盤になってるから・・・


か:(笑)


あ:「絶対曲が手に入らない」みたいな感じになっちゃうから、アルバム一挙出しとくかみたいな、そういう考えなんだけど、まあこのね、アルバムが、また、来年にね、その時別にあの、ランク的には・・・


の:なんか六十何位とか。


あ:そうですね。あのー、「リニアモーターガール」で初めて99位に入って。


か:そう!


あ:めちゃめちゃ嬉しかったっていう所から、リリースをしていって、ちょっとずつこうランクが上がってきて。

一応断っておくが、ここで言う「解散」とは、「期待された売り上げを達成できずにレコード会社を解雇され、広島に帰される」ことを指している。


2006年秋冬頃のタイミングにおいて、「解散危機は無かった」とまで言い切るのは、これまでの数々の言説を見ても無理があると思うが、この発言の違和感はなんだろう。当時から解散危機は唱えられていたが、現在実しやかに語られている「解散危機」の源泉を考えた時、ファン世論的なものがあるとすれば、宇多丸氏の言説は後に誇張されすぎたのではないか、特に、氏の発言が引用された「道夏大陸」によって後付で形作られたイメージが、ファンにとってあまりに大きくなってしまったのではないか、という印象も拭えなくはない。(ちなみに「道夏大陸」の最初のバージョンは2008/01/10に公開された) しかし、この辺りの状況は、本人達の前向きな気持ちと、もう一方で徳間ジャパン側の気持ちも当然別に存在するわけで、では「真相」はどうなのか、という判断は簡単に下しようがなさそうだ。


この宇多丸による解散危惧発言というのは、2007年10月の「宇多丸×掟ポルシェ 25000字対談」*1 に出てくるものが最も知られたものだろう。

掟:でも、やっぱりしんどかったと思いますよ。まず、アミューズが仕掛けていたBEE-HIVEっていうアイドル集団構想があって。


宇:ハロプロみたいなね。


掟:そう、ハロプロみたいに何組かアイドルがいて、Perfumeも当初その一員でした。その人たちを一括りにして売り出そうとして、渋谷公会堂まで借りて鳴り物入りで始めたんです。PerfumeBuzyBoystyleとか。定期的に合同イベントを打って、何組かいればその中からモノになるものが出るかもしれない、みたいな。なんだけど、結局どこも売上が上がんなかったということで、2006年の4月の段階でほとんどのグループが解散に追い込まれたんですよ。


宇:契約を切られちゃったんですね。


掟:そこでPerfumeだけがなぜか残ったんです。4月の段階で次のシングルのリリースが決まっていたということもあるんでしょうけど。


宇:その中ではBuzyが、最初は一番力入れられてましたよね。完全にポルノグラフィティの制作布陣で、楽曲もすごく充実してたんだけど、今までのやつを全部まとめたベスト盤・・・ある意味ご祝儀というか卒業記念を出して、「はい、ここで終わり」みたいなことになっちゃった。で、まさにPerfumeもその全部まとめ形態のアルバムを出したわけで、確かにクオリティは素晴らしいんだけど、「でもこれって……例によって終了の合図?」みたいな危惧は、はっきり言ってあった。


掟:とにかく2006年の8月にアルバムが出るらしいよと。まあ普通にアイドルのファーストアルバムだったら新曲が何曲か入ってるのが当たり前だけど、新曲1曲だけで、ほぼベストアルバム。確かにこれまでの楽曲が充実していたからベストでもいいんだけど、言い換えれば制作費がかかってないってことを表してるわけでしょ? これは普通に考えればおしまいのサインですよね。


宇:在庫総整理ね。本人たち的にも、周りがどんどんどんどん切られてるのを見てるから、「私たち大丈夫?」っていうのをやっぱり感じたと思うんですよ。実はベスト盤出してからの1年、つまり、すごくラッキーだったこの1年こそが、彼女たちにとっては実は非常に危険な1年だった。


「『Complete Best』をリリースして解散」説の比較的有力な「根拠」は、Perfumeにとって最も身近な存在だったBEE-HIVE勢のBuzyが、シングルベスト的アルバムを2006/01/25にリリースして活動終了、という所だ。では他に具体的な手がかりは無いのかというと、実は最近掟ポルシェ氏が、解散回避についての具体的な数字を初めて公の場で発言している。掟ポルシェミッツィー申し訳のトークライブ「アイドルについて真剣に考えすぎて泡吹いて倒れそうになる会」@阿佐ヶ谷ロフトA 100819でのレポートより。


shiro yamada
@long444
 掟「Perfumeもベスト出してからどんどん売れてきた。最初は一万枚プレスして、7,000枚売れなかったら解散だったってことですからね。でも、それが7,000枚どころか、結局何十万枚も売れたんですよね。(バニビも)そうなってくれることを願うと。」 #prfm(2010-08-20 04:53:05) link


これは一度もPerfumeの側から語られたことの無い数字である。「Complete Best」は当初通常盤がリリースされず、これもまた解散危機説の根拠となっていた。あの限定盤を売り切ったから次があった、という所には信憑性があるが、これもまた事実なのかは確認しようがない。ただ、事実であれば、「Complete Best」リリース時点ではまだ解散フラグは立っていた、という事だ。


憶測ばかりを並べるしかないのだが、一度材料を整理しておくと、少なくとも、徳間ジャパンの「3枚出してあげるから」発言から、シングル3枚、そして在庫整理の「Complete Best」で一旦の区切りが存在したというのは確かなことだ。これは本人達の発言からも伺える。一方、この年の12/20に「配信限定シングル」と謳われた「Twinkle Snow Powdery Snow」がリリースされた時は、そのファイル名が徳間ジャパンの型番を推測できるものだったため、後にパッケージとして「Fan Service [sweet]」のリリースがあることは予測できた。(もっとも、「配信でしか新曲を出せなかった」という、ある意味相当厳しい状況に見えたPerfume次の一手が、あのような豪華な形になるとは思わなかったが。) そして、宇多丸Perfumeの対談収録時に、既に「チョコレイト・ディスコ」のリリースは決まっていたという。その対談は、廃刊してしまったゲーム/カルチャー誌「CONTINUE」vol.31の「Power Perfume Girl」コーナーにおける「お好み焼き対談」を指すと考えられる。つまり、対談収録は2006年11月になされたものと推測できる。それらを俯瞰してみれば、限定生産盤であった初回の「Complete Best」発売の08/02(オリコン週間66位)から、その後2ヶ月間の推移とライブの動員状況を見て、以降の活動の継続、徳間ジャパンでの契約延長が決定された、位の想像はしてみてもいいだろう。


また、この解散かと思われた時期の次のリリースである「ファン・サーヴィス」が、「サービス」ではなく「サーヴィス」と名づけられた時点で、Perfume自身がリリースに「解散」というニュアンスを(直球かシニカルかは別として)含ませてきたということも、一つの反証的な材料である。以前にも書いたが、テクノポップの歴史においては「サーヴィス=解散」である。検索すればすぐ分かることだが、「サーヴィス」という表記は非常にまれにしか使われないし、またあえてリリースのタイトルとして使われるとすれば、意図するところも一つしかない。



あ:UDXだったっけ、秋葉原の。あそこで初めてやらしてもらって、「1000人集めて」って言われて。


か:1000人だよ!


あ:1000人て超もうすっごい嬉しかった。


か:もうびっくりしたね。


あ:で、社長さんが見に来てくれて、「ああ君たちはやっぱいけると思ってたんだよ。じゃ、今からメイド喫茶行ってくるから」みたいな。(笑)「メイド喫茶行くんですかー」みたいな。(笑)


か:変わった社長だったねー。


あ:今もね応援してくれてますけども。

「社長」とは、当時の松崎澄夫Amuse社長だろうか?
売り上げこそ伸び悩んだPerfumeであったが、ライブの動員は確実に伸びていた。2006/07/09、真夏の真昼に、秋葉原再開発によってその年の3月に完成したばかりの真新しい秋葉原UDXビル、その2階の広いイベントスペース「SKIBA_SQUARE」で行われた、「エレクトロ・ワールド」唯一のリリースイベントは、とにかくサウナのような酷い暑さだったことが語り継がれている。徳間ジャパンは、折角の屋内イベントにもかかわらず、経費削減のために空調使用料(冷房料金)の49,000円をケチった。*2 この匙加減を見ても、やはり当時の微妙な立場は推して計るべし、といった所ではないだろうか。




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