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Aerodynamik - 航空力学

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中田ヤスタカ「どんなシンセかも調べずに、インテリアとしてEOS B700を買った」@Sound & Recording Magazine 2011年10月号

http://www.rittor-music.co.jp/hp/sr/


楽曲制作がPC内で完結する時代に、TR-808TR-909TB-303の「実機」特集を48ページに渡って繰り広げる面白雑誌こと「Sound & Recording Magazine」、中田ヤスタカ対談シリーズ二回目の相手は小室哲哉


折角のプロデューサー対談なのに、今一内容、というか面白みが薄い。雑誌柄、プロデューサー視点で、という特化をしていないせいだろう。とはいえ、「小室哲哉がヤスタカを認めたのはPerfume『575』を聴いてからで、それは歌詞を五七五にする発想が小室自身になかったから」「『575』は1990年代だったら多分100万枚売れていただろう」など、そういう小室のヤスタカ賞賛発言はPerfume信者なら口から血を吐く勢いで喜ぶんじゃないでしょうか。



個人的には中学生当時にEOSブームだった世代なので、機材の話の方が面白いところ。

中田:サンレコ的なことを言うと、僕、YAMAHA EOS B700持ってましたよ。


小室:僕が開発にかかわったシンセだね。


−EOS B700が中田さんの1stシンセだった?


中田:いえ、最初はCASIO Casiotoneで、MIDIが付いていたのでそれをCOME ON MUSIC Recomposerで鳴らしていました。


−EOS B700を購入したのはなぜ?


中田:楽器屋で初めて見た時は小室さんがプロデュースしたという事は知らなかったんですが、とにかくなんて格好いいシンセなんだろうって思ったんです。それまでのシンセは黒くて無骨なものが多かったから、ホワイトのボディがすごくオシャレだなと思って。


小室:APPLEじゃないですけど、あの当時(EOS B700は1993年発売)から”白モノ”が来ると思っていたんですよ。開発の時は結構反対もされたんですけど、”白で大丈夫だから!”って周りに言って。いわゆる白モノというと冷蔵庫や洗濯機などの家電でしたけど、楽器もそのうち家電化するんじゃないかと思ったんです。


中田:で、僕は見た目だけでEOS B700を買ったんです。どんなシンセか調べもせずに(笑)。部屋に置いたらインテリアとしていいんじゃないかと思ったんですよね。買ってからダンスミュージックに特化したシンセだと知りました。


小室:そういう入り方でも全然いいと思うよ。

「小室プロデュースという事も知らず、どんなシンセかも調べずに、インテリアとしてEOSを買った」という事を小室の前で話すヤスタカが相変わらず過ぎて素晴らしい。


YAMAHAの初心者向けオールインワンシンセであるEOSシリーズが最初に発売されたのは1988年。特徴はやはり内蔵の大きなスピーカー、鏡音リンのモチーフにもなっている。初期のYS200やB200はFM音源で、筐体がグレー。ああ懐かしいな。これは随分ヒットしたんじゃないかと思う。欲しかったけれどとても買えなくて、QYシリーズのシーケンサーを買ったな。で、小室哲哉がプロデュース、浅倉大介が音色作成を手掛けたB500が1990年発売。こちらはFM音源+PCMというハイブリッド音源で、前回の中田ヤスタカ×福富幸宏対談でハイブリッド音源好きを告白したヤスタカ向け。*1


で、B500の後継がB700、1993年。「小室プロデュース」ブームの前年。この白モデルが売れた売れた。オールインワンなので、最初の一台に買った人も多かっただろう。音源はtrfのサンプリングなどを含む「レイヴ」色の強いものに差し替えられている。そう、小室哲哉と言えば「今年はレイヴが来る」ですよ。1992年に「TK RAVE FACTORY」略して「trf」が結成され、翌1993年にその「レイヴが来る」発言があって、散々石野卓球にラジオでバカにされ、YMOが再結成。そういう頃ですよ。






ちなみに、1992年末におけるtrfはこんな音。J-POPとしてのメロディーも日本語歌詞も無い、まだ「レイヴ」色が強い頃で、ミリオンヒットを連発した頃のイメージとは全く異なるのでかなり意外に思われるかもしれない。



で、この「レイヴ」サウンドが全く売れず、1993年の夏にJ-POPに転向したのが「EZ DO DANCE」。



この小室流「レイヴ」を馬鹿にしくさっていた電気グルーヴHardfloor「TB Resuscitation」などで盛り上がっていたアシッドハウス・リヴァイヴァルをイギリスで体験した卓球が、その影響を強く反映させた「VITAMIN」を「EZ DO DANCE」と同年にリリース。内ジャケではメンバーがTB-303を抱えて微笑んでいるが、Ki/oon Sonyから「これでは売れない」と強烈な反発を受けて、仕方なく最後に付け足すように収録したインディーズ時代の曲「N.O.」が、皮肉にも電気グルーヴ初のヒット曲となった。そんな1993年。