Aerodynamik - 航空力学

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「KRAFTWERK『Computer World』は既に古臭かった」と彼らは言った


Twitterにちょっと思い出話でも書こうかと思ったけれど、140字では収まらないのでこちらに書くことにする。


90年代中頃、それは日本にもようやくテクノシーンが定着してきた位の時期で、未成年の自分はテクノ談義をする相手もいなくて、どういう訳か、普及期を迎える少し前のネットを通じて知り合った、一回り上の世代の人達とよく遊んでいた。自分の一回り上の世代というと、丁度YMOをリアルタイムで体験した世代で、とにかく皆YMOが大好きで、YMOの存在は神格化されていた。そして、その人達は非常に高い確率で、「KRAFTWERKComputer World』が出た時は、既に古臭かったんだよね」という話をするのだ。テクノムーブメント真っ只中にいた自分にとっては、「何を言っているんだろう、YMOの方がよほど古臭いじゃないか、フュージョン上がりのシンセポップだろ」と思っていたが、口には出せなかった。なぜ上の世代が、「Computer World」を古臭く感じたのか、その理由も分からぬまま、結構な時間が過ぎていった。そしてある時気づいたのだ。YMO大好きテクノポップおじさん達は、当時はハウスもヒップホップも通過していなかったのだと。「Computer World」は1981年のリリースだが、既にビートはハウスの骨格を持っている、つまり早過ぎたテクノであったし、1986年にAfrika Bambaataa「Planet Rock」によってヒップホップと連携することで、ヒップホップのクラシックともなっている。後世からみれば、時代を先取りしたエポックメイキングなサウンドと解釈されるアルバムだ。だが、YMO大好きテクノポップおじさん達にとっては、1981年とは「Technodelic」の年であり、「Winter Live」の年であった。前年には教授の「B-2 Unit」が出ていた。脱テクノポップ、脱ピコピコであり、ニューウェーヴはThe Flying Lizardsのような脱構築や現代音楽的なものが斬新とされ、ポップフィールドはニューロマンティクスが席巻、Heaven 17「Penthouse and Pavement」やSoft Cell「Non-Stop Erotic Cabaret」のようなエレポップが流行していた。「Computer World」からハウスやヒップホップの文脈を全て取り去った時、そこに残るのは、「いまだにチープなピコピコテクノポップ」という印象でしかなかったのだろう。


去年だったか、自分と同世代のテクノリスナーと話した時、彼は「ダブステップの良さが分からない」と言った。「それは仕方のない事だ、自分達はTresorやDrumcodeのような、ハードミニマル全盛期に青春を費やしたのだから、耳の底まで四つ打ちが鳴っている。だからダブステップを理解できなくても仕方がないのだ。自分達の耳はもう古いのだ。」、自分はそう返した。そんなやり取りをしながら、YMO大好きテクノポップおじさん達の事を思い出していた。


きっとあの人達は、幸宏と細野御大によるエレクトロニカユニット「SKETCH SHOW」をも激しく拒否したのだろうなと。それはまるで、今の自分達がダブステップに馴染めないでいるように。SKETCH SHOWは、10年弱の時間をかけて、「Human Audio Sponge」を経由しながら、再び「Yellow Magic Orchestra」へと発展していった。時代を先取りし続けた彼らですらそうなのだ。自分の中に確固たる音楽観が完成してしまった人間は、新しい音楽を理解するのに、10年を要するのだろう。ダブステップも生まれてからもう10年が経つ。そろそろ自分達の耳に馴染んでもいい頃だ。もっとも、そんな悠長なことを言っている間にも、音楽は進化/変化し続けているのだが。




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