Aerodynamik - 航空力学

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ウェブ上の「自殺予告→結局死なない」ループについて考える


某掲示板やら自分のブログで自殺予告をしているのを時々見かける。
そしてそのほとんどは実行されることはない。
故に、自殺予告は「本当は死ぬ気でない」けれど「目立ちたいから」「かまってほしいから」「これだからメンヘルは」と解釈されている。


これが基本的な見方だろうか。
そう思っていた時期が僕にもありました。




仕事のストレスから体を壊し、実際に鬱状態となって初めて気づいたことを書きたいと思う。
自分も例に漏れず、本当に毎日死への欲求に苛まれている。
鬱病というと、他人からは「ひどく落ち込んでぐったりしている」位にしか見えないので、まるで理解され得ないと思うのだが、いざなってみると物凄く辛い。自分が自分で無くなっていく恐怖と葛藤しながら、この状態から開放されるのかの確証も無い。
もうこの苦しみから解放されるのであれば、死んでもいい。本気でそう思うようになる。まあこの死の欲求も鬱病の一症状なのだが。


いきなり真っ暗な洞窟の中に放り出されたようなもので、明かりも無く広さも分からない。しかし逃げ出したいから暗闇の中を必死で手探りで動き回る。真っ暗闇の中で動き回ると、そのうち手足や地面の感覚がなくなってくるが、同じように自分自身を形作っている精神も融解/崩壊していく。このまま動き回って、果たしていつか出口にたどり着けるのかは分からない。
発狂してしまう前に、この恐怖から逃れるすべは、やはり死んでしまうしかない。




で、毎日死にたい死にたいと思い、どうやったら死ねるのかシミュレーションをしてみたりするわけだが、いろいろ考えてみても、人間とはそう簡単に死ねないものだ。
死のうとすると、物凄く痛いか、物凄く怖いか、そのどちらかが付きまとう。
包丁で体を切ったら痛いだろうなあ。首をつったら苦しいだろうなあ。電車に飛び込むのは怖いし回りに物凄く迷惑をかけるなあ。道路に飛び出すのは怖いし絶対痛いだろうなあ。
死ぬということは、物凄く痛い怖いを乗り越えるほどの、猛烈な精神的エネルギーがなければできないのだ。
練炭とかオーバードーズは割とその辺のハードルが低そうには見えるけれどやはり怖い)




ここで「死ぬにはエネルギーが必要」としたわけですが、実際のところ鬱病状態の人には、気力は既になくなってしまっているし、痛い怖いを乗り越えるだけのエネルギーなんてどこにもない。もちろん「死ぬ気で頑張る」なんていうのは絶対無理。本当にエネルギーが無い。そういう病気だから。


ゆえに、毎日本当に死にたいと思うのでその思いをブログやら掲示板にぶつけてみるも、実行するだけのエネルギーが鬱病ゆえにないため、結局「実行できない」。これが「自殺予告→結局死なない」ループの実態なんだろうと思う。



それを健常者から見ると「メンヘラかまってちゃん」「予告するならやってみろよ」となる。
でも、鬱病は自殺したいのに実行する気力すら失ってしまっている病気なのだ。かまってほしいとか、そういう類のものではなく、単に「死にたい」とは、「苦しみから解放されたい」という意思表示に過ぎない。
ここで予告して、なおかつ自殺を実行に移せる人は、実行に必要な多大なエネルギーを発揮できる人、つまり「死にたい」ほど弱っているにもかかわらず、「死ねる」ほど体力のある人ということになる。


実際に鬱病となったため、鬱病についての本をいくつかあたってみたが、やはり本当に鬱がひどい状態の人は自殺率は低い。
一方で、若干快方に向かってきたものの、そこから先になかなかいけない状態の人(精神状態の割にエネルギーが少しある状態の人)が一番自殺率が高いとのことだった。




というわけで、この直るかどうか分からない苦痛をクリアしたい、初期化したい、それなら死が一番手っ取り早いので死にたいなあと毎日思う私ですが、自殺なんて怖いしとても実行する気力なんて無いので、多分死ねません。