先日、大御所ラッパーのJay-Zが、ネットで新曲を発表した。タイトルはその名も「Death of Autotune」、AutoTuneの死という強烈なもので、そのリリックは、ざっくり意訳すると「どいつもこいつもAutotuneばかり、いい加減次に行こう」というものと受け取れた。
http://www.vibe-net.com/news/?news=00381471
オートチューン(音程補正ソフト)を使ってヴォーカルを完璧なものにしようとするシンガーたちを攻撃したナンバーだ。ジャンコ・ニロヴィック&デイヴ・サッキーのナンバー「In The Space」をサンプリングしたトラックには、“ペンなくして歴史を書き換える唯一のラッパー”と自称するジェイ・Zが、オートチューンのほか、iTunesや携帯電話などの最新テクノロジー批判も展開している。
R&BやHip Hopには疎いので、そちらのシーンでAutoTuneが何時から多用され、いつからその乱用に嫌気が差すようになったのか、その辺の空気は分からないので、日本のFemale RapperであるCOMA-CHIの言葉を引用する。
http://ameblo.jp/coma-chi/entry-10277543165.html
オートチューンはもう終わりだってー
たしかに出回りすぎ感あるけどねー
しかし今新作オートチューンで作っちゃって、
これからリリースの人たちテンション下がるだろうなぁ(笑)
HIPHOPってコワス
でもまぁ、
たしかにマンネリ感あるから誰かが言わないと、、、
的なムードあったからね。
さすがJAY-Z、タイミングが絶妙です。
ということだ。既に飽和・マンネリ状態は感じられていたということか。
また、Autotuneでヒットを飛ばしたKanye Westやその他若手の反応は以下のような感じ。
http://www.vibe-net.com/news/?news=00381379
この件について、カニエはMTVに対し「俺は構わないよ。ただの音楽さ。単なる音の話に過ぎないだろ」とコメント。「俺はオートチューンが気に入ってるから使うけど、別のがいいって言う人間もいる。結婚式にはスーツを着て、バスケットボールの試合にはスニーカーを履くのと一緒さ。今のジェイにしてみれば、まさにバスケの試合にスニーカーを用意するタイミングだってことだろ」と大人な対応をみせた。
http://notrax.jp/news/detail/0000006715.html
NYの若手プロデューサーとしてこのオートチューンを使ったサウンドを展開しているDJウェブスター(Webster)は、Twitterで「40歳が19や22の若者とつながれるはずがない、だから彼が俺のキャリアを終わらせることなんてできない」と反論。そのほかにもラッパーたちが相次いでTwitter上で賛否を語っているが、批判の声を上げているのはロスアンジェルスのミスター・ファブ(Mistah F.A.B.)など少数派のようだ。
そしてブームの渦中のT-painはこうだ。
http://www.rapbasement.com/t-pain/060909-autotune-kings-t-pain-and-ron-browz-talk-about-jay-z-declaring-the-death-of-autotune.html
"That affected me in a great way man," Pain said in an interview about the song. "And I made sure I honored him, it's a great song. That's like the best song I've heard in a couple of years. It's great that somebody that important stepped up and vouched for me. That just makes me ready to come back out and do my thing."
これらの動きが、日本におけるAutoTuneの使われ方にどういった影響を及ぼすのか、正直距離感がつかめないのだが、エレクトロビートにAutoTuneボーカルというスタイルが、日本では「Perfumeサウンド」として世間的に認識されている以上、見過ごせない動きではある。
AutoTuneの発売は1996年、ブームの第一波は1998年のCher「Believe」、第二波は2001年のDaft Punkの2ndアルバムだ。それらにおけるAutoTuneは、ヴォコーダーの新ジャンルとしてではなく、ブラコンでも多用されたトーキングモジュレーター*1を更新する新しい表現という文脈で使われているのではないかと勝手に解釈している。サウンドとしての奇妙さ、面白さを表現するツールとしてのあり方だ。
一方、日本におけるAutoTuneの文脈は、YMOのヴォコーダー(1978年までKorg VC-10、1979年以降Roland VP-330前期型)を否が応にも意識させるため、AutoTuneを使用するだけで、単なるサウンド以上のもの、テクノ、プラスティック、近未来、そういったイメージを想起させる事ができる。この点に関しては、既に手垢の付きすぎたイメージ・手法であるため、今更使いすぎて飽きられるというものではない。
しかし、Perfumeのヒット以降、AutoTuneは「ガールズポップのお約束」として多数のフォロアーを生んだだけでなく、「新しいポップの表現」という新たな文脈も生まれ、Hip Hopでのヒットと合わせた影響としてJ-Popでも使用され、CMなどでも見かけるほどである。*2
J-Popの流行としてAutoTuneが存在したとき、当然ながらその消費スピードは速く、そして遅かれ速かれ飽きられる時が来る。
「もうアメリカではAutoTuneの流行は終わったよ、ダサいよ」というアメリカ追従リスナー、「Perfumeみたいなロボ声ばっかりで聞き飽きた」というJ-Popリスナー、二面からの排他圧力が今後生まれてくる。世間の流行を読んで、新たな音に変化させるか、あくまでトレードマークとしてこのままAutoTuneを使い続けるか。遠くない将来、中田ヤスタカと徳間のTeam Perfumeが下すであろうこの判断は、非常に興味深いものになるだろう。