Aerodynamik - 航空力学

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言語は思考を決定するのか?

http://slashdot.jp/science/04/08/20/0846202.shtml?topic=62

ブラジル・アマゾンのピラハー族の数の概念に関して観察を行っています。数字をあらわす言葉として1と2しか持たない(それ以上はたくさんになる)この種族に対して数の違う電池、魚などが写っている画像を使う「マッチング課題」の試験を行ったところ、数が3以上になると物体が何であっても判定するのに苦労していたそうです。Gordon氏は、ピラハー族では数を表す言葉が無いために、数の認識に明白な影響が出ている、と結論づけています。

数字が1と2しかない世界があることにびっくりだが、よく「ゼロはインド人が発明した」みたいなことを聞くわけで、じゃぁゼロの概念がなかった頃はそれをどう捉えていたのかと考えること小一時間・・・想像もできないな


「プライバシー」という概念は元々イギリスにしかなかったし、「侘び寂び」に相当する言葉があるのも日本固有のことだ。
特定の概念を表す言葉がないということは、その概念に対して想像すらできないということか。



ソースを忘れてしまったのだが、日教組の教科書作成ルールの中に、「我が国」という言葉を使用不可とするという条項があるらしい。
つまり、この教科書で育った自分たちの世代の頭には、「我が国」という言葉がない。
試しに「この国の情勢は」「我が国の情勢は」と言い比べてみると明白だ。「我が国」というだけで、強力な憂国右翼かあるいはジオン軍の色が付いてしまう。


言語が思考を決定するのなら、言葉をコントロールすることは、思想をコントロールするのと同じことだ。
実に危険なことを平気でやっている日教組はやっぱり悪だ、ということでよろしいでしょうか。