Aerodynamik - 航空力学

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戦国時代マニアは尊敬されるのに、ミリオタは迫害される件について


戦国時代の武将や戦法、兵装について語ると「へーよく知ってるねえ凄いねえ歴史詳しいねえ」と言われるのに、第二次大戦の将校や戦法、兵装について語ると「ミリオタきもい危ない変人」となるのは何故なのか。


どちらも戦争マニアには違いないのではないだろうか。
そんなことを時々思う。




「いや俺は武将の生き様が好きで」と言う人もいるだろう、それとて、「ロンメルの生き様が好きで」に置き換えると一般的にはアウトだ。
長篠の戦いで戦術の革命が起きたというけれど実は三段撃ちは云々」と言えば尊敬されるが、「ドイツの電撃戦で戦術の革命が」なんて、言いかけただけでドン引きされる。


「チンギスハーンに憧れるんだよね」「へーかっこいい」という会話を駅前のマクドナルドで先日耳にした。それが許容されるなら「虐殺&恐怖政治」のあの人とかあの人は何故駄目なのか?「いやそこには男のロマンが」と思ったが、領土拡大がロマンならそんなものみんな一緒じゃないか。


「戦国時代」は三国志ローマ帝国でも置き換え可なのを考えると、それは「教養としての歴史」であって、生々しさが無いからなのだろうか。
とすれば結論は早いが、いくら生々しいからといっても、それについて知ろうとすることすら危険視されるのはなんなのか。現代を語るのには世界大戦から冷戦、ソ連崩壊などを通しての世界の枠組を踏まえなければならないとするなら、それも立派な教養ではないのか?
「昔の戦争はいい戦争、近代の戦争は駄目な戦争」なんてことは無かろう。


あー分からん