先週はヨーグルトを食べながら腸内ピロリ菌がもがき苦しむ妄想をしつつ「アッコにおまかせ」の放送を見ていて、あーまだまだ世間の認識はこんなもんかねー、今に見てろよーなどと思っていたのだが、極所でのみ大騒ぎになっていたようだ。
自分はテクノ好きというのも相まってか、新しい文化や技術に対して極端にオプティミスティック過ぎるところがある。
「新技術が世界を変える!」とかいうアジ文にすぐ興奮してしまうし、興奮したまま読み直すと恥ずかしいエントリを書いてしまう。
こんなのとか
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我々は初音ミクが新たな次元へシフトする瞬間を目にすることができるだろうか
http://d.hatena.ne.jp/aerodynamik/20070928/p1
で、思わずこういうエントリを見るとやっぱり血が騒いでしまうんだなあ。
初音ミクの魅力はオタクにしかわからないのか?
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071017/p1
初音ミクと、そしてミクの可能性を極限までひき出そうとする「初音ミク使い」たちには、何か、「萌え」とか、「オタク」とか、そういう枠をぶっちぎりで乗りこえていくものがあると思う。
それは、先端技術がエンターテインメントと出逢うところにのみ存在するあのスリル、いま何かが起こっている、何か新しいものが生まれようとしている、その興奮だ。
初めてプレイステーションの画像に見入ったとき、あるいは『ジュラシック・パーク』で恐竜が闊歩している場面を目にしたとき、同じ興奮を感じた。
何かが起こっている。何かが変わろうとしている。いままでに見たこともないものがここにあり、そして瞬く間に進歩していく、その現場に、ぼくは、ぼくたちは立ち会っている。
初音ミクがオタクツールであっても別にかまわない。
とりあえず今のところはDTMの歴史を塗り替える面白ツールであり、もしかしたら将来的に「歌は人間が魂を込めて歌うからこそ人の心を動かすことができる」という当たり前すぎる事実を揺るがしてしまう、世の中を変える力を秘めていると思わせてくれるツール。
そんな夢を見させてくれるだけで十分面白い。
あくまで現状では、初音ミクの魅力がわかるのはオタクです。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071018/1192707995
「先端技術がエンターテインメントと出逢うところにのみ存在するあのスリル、いま何かが起こっている、何か新しいものが生まれようとしている、その興奮」を感じ取れるその心性こそがオタク的なのだ。「初めてプレイステーションの画像に見入ったとき、あるいは『ジュラシック・パーク』で恐竜が闊歩している場面を目にしたとき、同じ興奮を感じた」ってそれ、まさにオタクではないか
スピルバーグは俺の中ではオタク扱いなので、こう切り捨てられてしまうと違和感がある。
人間の周りをリアル恐竜が動き回ったり、宇宙人の放った巨大蛸ロボットと普通のおっさんが戦ったり、人間がマトリックスと現実世界を行ったり来たり、それってまさに「オタクの妄想」そのものではないのか。
それに対して、一般の人たちも「こりゃすげー面白そう」と映画館まで足を運んだんじゃなかったのだろうか。
一般の人間の凡庸すぎる想像力、それを遥かに超えたところに辿り着くのは、いつだってオタクの妄想力だ。
新しい表現、新しい世界観。それらを生み出すのは、常識の箍にとらわれずにどこまでも妄想を広げる能力じゃないか。
今、初音ミクがオタクのものだとしてもそれで結構だ。
オタクが生み出す、これまでの常識を超えたコンテンツに、いつか大衆は驚き、歌手は慄く。
そのときに注目さえしてさえすれば、それでいい。
エンタテインメントのコンテンツを一定以上に広めようとしたら、いまだ既存のマスメディアでのプロモーションが物を言うのだ。クオリティが高ければ売れる/広まるはずというナイーヴな信仰を、オタクはいい加減捨て去るべきである。
CM以前からのPerfumeファン涙目。
いや、この信仰をナイーヴというなら呼べばいい。
いい物を作ろう、面白いものを作ろうというモチベーションに水を差すつまらない人間にはなりたくない。
スピルバーグの「激突」や、ウォシャウスキーの「バウンド」に、マスメディアの後押しはなかった。でも、次回作の予算を与える人間がいたということだ。