Aerodynamik - 航空力学

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ゼロ年代に再び「テクノポップ」ブームを甦らせたPerfumeの功罪


Perfumeがメジャーデビューした2005年当時、彼女達に付けられたキャッチコピーは「近未来型アイドルユニット」だった。それが、2006年のセカンドシングル「コンピューターシティ」では、「近未来型テクノポップユニット」となり、2007年の「Fan Service[sweet]」では、「テクノポップアイドルユニット」となった。
何が言いたいかというと、Perfumeの所属事務所Amuse、あるいは所属レコード会社徳間ジャパンは、彼女達を売り出すために、中田ヤスタカの作るその音楽を「テクノポップ」と呼んだ、ということだ。




この「テクノポップ」という言葉の起源には諸説あるが、1978年に阿木譲が編集長を務める「ロックマガジン」で使われ始めた、というのが一般的な説だ。そして、この和製英語テクノポップ」、または略して「テクノ」の指す音は、ざっくり言うと「1980年前後のピコピコしている(シンセサイザーを前面に出した)ポップミュージック全般」だ。YMOはもとより、全く音楽性の異なるP-MODELヒカシューPlastics三者までもが当時「テクノ御三家」などと一括りにされるほど、非常に含むところの広い言葉であった。


時は流れて1988年、アシッドハウスやシカゴハウスがアメリカでブームとなり、自動車産業の街として知られるデトロイトでもそれらのハウスに影響を受けたレコードが作られ始め、それをまとめたコンピレーションアルバムがリリースされる際に、そのアルバムに音源が収録されたアーティストの一人Juan Atkinsが自らの音楽を「Techno」と呼び、それがアルバムのタイトルとなり、アルバムはヒットして「Techno」はジャンル名として定着した。つまり、「Techno」は、ざっくり言うと「電子音を前面に押し出したハウスミュージック」である。


90年代初頭、「Techno」は世界的ムーブメントとなり、日本にも輸入されるようになった。全く新しい音楽として、それらは熱狂的に受け入れられ、更には音楽性だけでなく、その思想や文化までもが一つの大きな波となって日本を席巻した。当時大学生であった自分も、その衝撃を全身に浴び、その音を求めてレコードを買い漁り、クラブに通い、レーベルのロゴがプリントされたTシャツを身に着けた。


そして、ここで一つの揉め事が起きる。それはとても厄介な揉め事だった。
「Techno」を愛好する者達から、「Techno」はハウスを源流とするエレクトロニック・ダンス・ミュージックなのだから、80年代のピコピコポップミュージック「テクノ」と一緒にするな、という主張が現れたのだ。これは実に厄介だった。だってどちらも「てくの」なのだから。そもそも「テクノ」は80年代から日本で定着していた言葉で、後から日本にやってきた「Techno」が今更一緒にするなと言ってもそんなの無理に決まっている。
しかし、「Techno」陣営は譲らなかった。何故なら、クラブ文化と深く融合した最新型ダンスミュージックとしての「Techno」の話をしようとすると、決まって既にロートルに成り下がり新しい音楽についていけなくなったおっさん達が現れて、「如何にYMOが素晴らしいか」を延々と話し始めるからだ。冗談じゃない、これは全く新しいダンスカルチャーなんだ。80年代の遺産と一緒にするな、若い自分達はいきり立った。「Techno」はカウンターカルチャーでもあったので、なんとしてもこの巨大すぎるYMOの壁を乗り越えなければならなかったのだ。自分もYMOと「Techno」を同時に愛聴しながらも、YMOしか聴こうとしないおっさんを、「後ろ向きの老害」と、心の中で叩き続けた。
しかし結局、この不毛な論争に決着など付かなかった。付くわけが無かった。相変わらず世間で「テクノ」といえば「YMOとかでしょ?」といわれ続ける「屈辱」を当時の自分は散々味わった。メディアは「Techno」を大して扱ってもくれなかったので、古くてダサい「テクノ」のイメージを、新しいカルチャー「Techno」で更新する事は出来なかった。これが、90年代の話である。




話をPerfumeに戻そう。2006年のPerfumeサウンドは、当時の感覚で言うなら「フレンチエレクトロ/ニューエレクトロ風J-POP」である。当時、嫌というほど散々「Daft Punkのパクリじゃないか」と叩かれたのだから、間違いない。それを、Perfumeを売り出す事務所は「テクノポップ」として売り出したのだ。また「テクノ」か!悪夢の再来だ。きっとYMOを振りかざすおっさん達が湧いてくる。しばらく紆余曲折しながらもブレイクしたPerfumeを、メディアは事務所の宣伝文句通りに「テクノポップユニット」と紹介した。予想通り、YMOが大好きなおっさん達が一斉にPerfumeに食いついた。Perfumeのフォロアーも沢山現れたが、みな自分達を「テクノポップ」と自称した。再び世間的に「テクノポップPerfumeサウンド」が定着してしまった。「いやそれハウス/エレクトロじゃないの?」なんて言葉はメディアと大衆の前では封殺されてしまう。「テクノ=YMO」の悪夢はまだ続いているのだ・・・。




と、ここまで書いてみたが、これは敢えて「意図的」に、「Techno≠テクノ」を主張してきた立場からの視点を想定して書いてみた。今更ジャンル名称の論争などするつもりも無い。このエントリのタイトルも「釣り」だ。なぜなら、「かつて90年代にこのような視点が存在した」ということを知っている事を前提に、以下の文章を紹介したかったからだ。Music Magazine誌2010年4月号、リレーエッセイ「音楽シーンへの視点」第四回、かつてのTechno専門誌「ele-king」の文章などで自分も非常に影響を受けた渡辺健吾氏の文章である。

テクノポップブームが去って・・・


一昨年辺りから本誌でも例外的に大きな扱いを受け、実際雑誌の売り上げにも貢献したと聞くパフュームや中田ヤスタカの活躍と前後する形で、いよいよ日本のポップカルチャーにおいてテクノ云々と口に出すのが難しくなった。いっそのこと中田自身も言っていたように、「これはエレクトロだ。新しいタイプの表現なのだ」というのがもっと一般化してくれればよかったのに、どちらかというとテクノポップという昔から馴染みのあるコトバが再浮上して、たぶん80年代初頭のリアルなテクノポップを知ってるおじさんだらけのメディア界隈でもそれが定着してしまった。で、ロボ声でピコピコしてればテクノ、そういうのがちょっと売れるらしいみたいな、お前ら「TOKIO!」とかの時代から何も進化してねーぞ、それ!というのがしばらく続いて、あっというまに・・・忘れ去られた。


その現象、もしくはブームというようなものが、どのくらいのインパクトを内外に残したのかは分からない。しかし、ずっとこの辺の音やアーティストへの言及を避け、距離を取ってきた電気グルーヴにさえ、99年のエレクトロディスコ路線のシングル「ナッシングス・ゴナ・チェンジ」に関して自嘲気味に「早すぎた!」と言わせてしまうだけの震撼はあったということだ。更に言うなら、ここ日本においては、ケンイシイがあのアニメのイメージと共に一気に認知を勝ち取った「斬新な」戦略や、ジェフ・ミルズが魔術師のごとき手つきでターンテーブルを操り新宿リキッドルームで繰り広げた「祝祭的」熱気、90年代後半にあったあれら突出した部分のみが、いまだテクノを象徴しているのだという悲しい現実もある。最近になって、ケンイシイは再び自らのイメージを弐瓶勉の手によるマンガ・ヴィジュアル化し、ジェフはかつてあまりに独特のDJスタイルを生み出したばかりに付けられた「宇宙人」という愛称をカリカチュアしたとも取れるSF的舞台装置で演劇じみたイヴェントを行っているというのはなんという皮肉なのか。


90年代には、サイバーとかハイテクとかフューチャーとかのキーワードと、アナログ盤、野外レイヴ、DIYなどの手法がなぜかごっちゃになっていたのは面白かった。ただ、それがすぐに行き場を失ってドン詰まってしまった様に見えたのも事実だろう。そして「カスな00年代はどうにかテクノポップで最後に巻き返したと思ったら、オチはサイバーのりPだった」という、これ以上にないくらいイヤな結論に持っていかれたくないがゆえに、もう一度足掻いてみようかというのが、多分今、僕らが置かれた状況ではないか。


90年代の無意味な「Techno≠テクノ」闘争も、一時期を過ぎれば忘れ去られ、DJ TASAKAがその「Techno」なセットリストの中にYMO「Absolute Ego Dance」や坂本龍一「Riot in Lagos」を混ぜていたのに驚かされた2000年も遥か過去の話。YMOもTechnoもPerfumeもエレクトロもフラットな地平で語るYoutube以降の次世代に取って代わられた今、この強烈な皮肉を含んだ健吾氏の文章は鋭く響く。




何のことは無い、結局「テクノ/テクノポップ」はメディアの使う用語でしかないのだ。Perfumeの「Love the World」が初めてオリコンチャート1位を獲得した時、オリコンが報じたニュースは、YMOPerfumeを「テクノアーティスト」と一括りにした。

Perfumeがテクノアーティスト史上初のシングル首位獲得!YMO以来25年ぶりの記録更新


 3人組ガールズテクノポップユニット・Perfumeの「love the world」が発売1週目で8.1万枚を売上げ、7/21付週間シングルランキングで首位を獲得した。これまでテクノアーティストのシングル最高位は、1983/5/2付のイエロー・マジック・オーケストラ君に、胸キュン。」の2位。今回、25年3ヶ月ぶりに同最高位記録を更新するとともに、シングルでは史上初の首位となった。


http://www.oricon.co.jp/news/confidence/56346/full/


90年代、アンダーグラウンドな文化からほんの一瞬だけメジャーになりかけてコケた「Techno」は、メディアの使う用語としての「テクノ」を更新するだけの力を持ちえなかった。ゼロ年代の「Techno」もまた、90年代の「テクノ」を更新できなかった。そして、「エレクトロ」も同様に、亡霊のような言葉である「テクノポップ」を更新できなかった。
Perfumeを売ろうとした人達は、意図的に「テクノポップ」という言葉を使う事でメディアの力を借りようとしたし、それが成功する事で、「テクノポップ」というもはや死語となっていた80年代のメディア用語は、ゼロ年代になって再びその力を再生した。更にPerfumeは一時的にブームと呼べる程の勢いを持って、自らその「テクノポップ」という言葉を牽引したし、フォロアー達も同じように「テクノポップ」という言葉に便乗した。そして、また僕は「え?テクノが好きなの?それってPerfumeとか?」と言われ続けるのだ。


しかし、もしPerfumeが「テクノポップユニット」として売り出されていなければ、これほど多くの人の耳にも届かなかっただろう。今だにファン層の多くを占めるYMOを信奉するおっさん達へ、かつての音楽への喜びと情熱を再び届ける事は難しかったし、そしてメディアの中のおっさん達の食い付きがなければ、今のPerfumeは無い、それは確かなことだ。「テクノポップ」という言葉を使ってブレイクを果たしたその結果は喜ぶべき事だし、一方で、今の世の中にこれほどエレクトロ的なポップサウンドが溢れても、結局メディアの「テクノポップ」という言葉の消費と乱用に太刀打ちできないでいる無力さも味わった。そして今、日本のメディアと大衆に「新しい音楽用語」として「エレクトロ」という言葉を定着させようとしているのが、あれほど衝撃を持って日本の音楽シーンに受け入れられたPerfumeではなく、黒船のLady Gagaだということも、なんとも残念に思わざるを得ない。




love the world(通常盤)

love the world(通常盤)

  • アーティスト:Perfume
  • 徳間ジャパン
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