Aerodynamik - 航空力学

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坂本龍一「Perfume、知っています。でもああいうのはよくわからないね」@「坂本龍一 相談室『上から』言い切る」第21回

http://openers.jp/culture/sakamoto_uekara/uekara021.html


坂本龍一 相談室『上から』言い切る」という、読者の質問にずばり回答で全て解決コラムの第21回、テーマは「音楽」。

Q:
教授は“Perfume”をご存知ですか? とってもかわいい日本のテクノポップ・アイドルです。私はテクノというジャンルにはなんの固執もありませんが、Perfumeは久びさのヒットだと思います。
で、教授にも彼女らに曲の提供をしてもらえたら、ファンとしては一粒で二度おいしいわけです。事務所の関係とかいろいろ困難かもしれませんが、よろしくお願いいたします。



A:
パフューム、知っています。でもああいうのはよくわからないね。ボーカルはつくりこんだ独特のダフトパンク的な音で、一時的な流行りのテクニックですが……。


彼女たちをプロデュースしている中田ヤスタカ氏の曲のつくりかたはパターン的で、キーボードのリフを歌っているような曲のつくりかたなんですよ。トラックをつくる、ポップなメロディをつくる才能はあるんだろうけど。「第二の筒美京平」みたいな言い方もされているようだけど、曲づくりという点ではかなりちがいますね。


この教授の発言について、結構過剰な反応をしているPerfumeオタをあちこちで見かけた。「よくわからない」「一時的な流行りのテクニック」だなんて・・・、という。


なんというか、自分もYMOとラベリングされていれば何でも買ってしまう類の残念なYMOファンの一人だけれど、こういう質問が投げかけれらるのは教授も可哀想だなあと思う。正直全く「畑違いの音楽」をやっているのに、周りのテクノポップファンは2010年代になってもしつこくYMOPerfumeを「テクノポップ」と一括りにして、事あるごとに比較したり、あるいは意見を求めたりする。おそらくこの手のファンには教授も本当に辟易していることだろう。YMOのファンというものは、それはもう人一倍やっかいな存在だから。ここでいう「畑違いの音楽」とは、音楽的な距離というよりも、立ち位置とかマインドとか、そういう意味でのことです。「テクノとはサウンドではなく意識である」と細野晴臣御大が仰ってましたが、つまりそういうことです。例えば、テクノとトランスを比較した時、この類の音楽に興味が無い人にとってはどちらも同じものに聴こえるでしょうが、テクノの人間にとっては、トランスと一緒にされるなんて迷惑この上ないでしょう。そういうことです。だから、そういうスタンスを差し引いた上で、この手のコメントは読まれるべきかと思います。


何でも「テクノポップ」で一括り、が面倒くさい件については、こちらのエントリでも書いています。
http://d.hatena.ne.jp/aerodynamik/20100330/p1



70年代から電子音楽をやっている教授のような存在から見れば、2005年以降に確立したエレクトロ風J-POP、それもAutoTuneボイスなんて、「一時的な流行」というのは極々真っ当な話。また、エレクトロをJ-POPに落とし込んだヤスタカと、ありとあらゆる洋楽スタイルを歌謡曲に落とし込んだ筒美京平、という視点を取れば、両者に共通項を見出せないこともないが、とはいえ循環コードをベースにメロディーを立ち上げるハウス以降の作曲家ヤスタカと、膨大な引き出しを持つ純然たるメロディメーカー筒美京平を比較しようにも全然畑が違います、という指摘も、至極当たり前の話だ。むしろ、Perfumeをちゃんと聴いているのだな、という印象すら与える。あえて「第二の筒美京平」が誰かと問えば、大抵の人は小西康陽あたりを推すのではないだろうか。




テクノポップで一括り、で思い出したのだが、電気グルーヴも、2008年頃はそういうやっかいな周囲の目線には相当辟易していたのではないだろうか。「Perfumeを『WIRE』に出さないのか?」とかね。彼らも90年代にはYMOと散々比較されてうんざりしていたと思う。
丁度手元に資料を見つけたので参考までに。「サイゾー」2010年9月号、石野卓球「CRUISE」リリース時のインタビュー。

−この6年の間に、「Perfume」らの出現によってテクノポップが広く定着した感がある。こうしたシーンについては、どう捉えているのだろう?


石野:市場が広がってくれて助かりましたよ。間違えて手に取ってくれる人、きっと増えたじゃないですか(笑)。ただ、Perfumeのはもっとエレクトロ寄りで、歌謡曲に仕上げたものだから、実際中身は全然違うものなんです。もっと近いところで、ちょっとだけ違うことをやっていたら「あいつらさえいなければ・・・」とか思ってたかもしれないですけど、反発心は無いですよ。あ、いっそのこと、「石野の今度のアルバムってPerfumeみたい」って書いておいてもらえばいいかもしれない。ファンの人たちが間違って買ってくれるかもしれないですよね(笑)


坂本龍一に戻ろう。Perfumeの回答の続きがちょっと面白い。

あと、最近のレコチョク女王、あれはひどいね。携帯で聴くように曲をつくっているのでトラックがひどい。歌は現状では普通のクオリティだけど、とにかくトラックがひどい。音質が悪くなったのは携帯のせいですね。


その一方で、高音質を求める風潮も出てきて、アナログ盤志向が英米で盛り上がっています。ハタチ前後の音楽好きのアメリカ人を見ていると、アナログ盤より「これはカセットで聴きたいよね」なんて言ってる。もうダウンロードとアナログ盤が普通になってきていますね。日本? 日本はガラパゴス化しているでしょう。

「幾らCDの音質を上げていっても、アナログレコードにはかなわない」という話は、ちょっと一般的には受け入れがたい話かもしれなが、それなりにいい音響システムで音を聴いた事がある人なら多分すぐに意味が分かると思う。で、日本の歌謡曲、特に「レコチョク系ディーヴァ」の曲のトラックの音質がしょぼい、というのも、面白い話。
これまた細野御大の話で恐縮だが、近年ますますアコースティック志向に回帰している彼の連載「ぶんぶく茶釜」第21講から、アメリカのポップスのトラックについて。

細野:最近の音楽で言えば、ぼくはブリトニー・スピアーズとかを、クルマでフルボリュームで聴くのが好きなの。音の作り方、とくに低域の処理とか感心しちゃうんだ。すごいから。フルボリュームでも音が割れないのがすごいし、うるさくない。むしろ静かに聴こえる。音数が少なくて、構造がしっかりしていて、音楽的にしっかりしてる。「静か」っていうのは、音楽として聴こえるってことだよ、音の塊じゃなくてね。いい映画を観てるみたいなもんだよ。いい映画には、画面の大きさは関係ないからね。


http://webheibon.jp/blog/chagama/2008/03/post-18.html

レコチョク系ディーヴァ」のトラックの音質については、恐らく両者とも同じような感想を抱いていると思う。いい環境で聴けば聴くほど、その違いがはっきりしてくるのだろうし、iPod付属のイヤフォンで満足している人は、何も思わないだろう。世の中はSACDの高音質よりもMP3の手軽さを選んだし、今はクラブに行ってもMP3でプレイするDJはそんなに珍しくは無くなってしまった。個人的にはそんな人達をDJとは呼びたくないが、WAVと320kのMP3を聞き比べても自分には違いが分からないだろう。Perfumeについて、あれを「テクノポップ」として今の自分と相変わらず一緒にされることなどよりも、日本のリスナー/クリエーターが音質に拘らなくなった事、こちらの方がよほど教授や御大にとっては危機感を持つべき深刻な問題なのだろうと思う。