http://www.perfume-web.jp/cam/grungrun/
http://natalie.mu/music/news/126633
- 20140918/20140921 Perfume 5th Tour 2014「ぐるんぐるん」supported by チョコラ BB@国立代々木競技場第一体育館
このツアーの辺りからライブ記録を殆ど書かなくなってもう半年経つ、40本位のライブ記録が放置されたままだ。
世間ではまだ代々木公園の蚊が媒介するデング熱で大騒ぎの頃、閉鎖された代々木公園のすぐ隣、東京オリンピックを象徴する巨大建築にて全国ツアーのラスト4公演が行われた。Perfume程に芸歴が長ければ、何ともタイミングの悪い時でも中止にすらできない巨大なイベントが続く事も少なくない。戦後最大の反日デモが連日発生し日系企業が次々と破壊/放火されていく中で行われた香港公演を思い出す。「蚊には気をつけんさい」という西脇さんの言葉には、彼女の慈愛とシリアスさが綯い交ぜになったあの独特の空気があって、そう、「西脇教」という言葉に何の違和感もないほど、彼女の教祖的カリスマ感は更に磨き上げられその美しさを増していた。
その日のうちに長ったらしいレポートめいた記録を書き、数日後にありったけの思いを長文に残したけれど、なにか違和感を感じて結局消してしまった。そういうものはもう、事務所が配布するキットをベースに書かれたナタリーなどの媒体なり、その瞬間の興奮を切り取ったツイートをまとめたサイトに任せればいい。Perfumeに対して何かを書き残したいという気持ちすら失われていた。飽きたとかそういう話ではない、今回のPerfumeのライブはあまりにも情報過多で、多分それは長文を以ってしても何一つ伝えられない、何一つ書き留められない、強烈な無力感に襲われた。表面的にセットリストと公演内容を書いてそれで終わりでもよかった、しかし今回の公演はそういうものではなかった。千秋楽を終えたその夜、インディーズ当時からPerfumeを見続けているファンの方々と食事を取った。交わされたのは、「アンコールで披露されたメジャーデビューシングル『リニアモーターガール』のリリースが知らされたのは代々木公園に程近い渋谷eggmanの昼イベントで人もまばらだった」、そういう話であったり、既に二人が鬼籍に入ったインディーズ時代の熱心な大本さんファンの話であったり、語り継がれる「やっぱあ〜ちゃんだな」に纏わる歴史の話であったりした。
前にも書いたけれど、「LEVEL3」ツアーがRhizomatiksのメディアアート演出を前面に打ち出した前のめりの未来的/先進的なライブであった一方で、今回の「ぐるんぐるん」ツアーは「現時点でPerfume陣営の持てるスキルをフル稼働させてのアイドル時代原点回帰」で、アメリカでのAstralwerks/EDM楽曲での展開を始める前に、日本のファンの前での彼女達のけじめ或いは禊ぎとでも言おうか、更に先へ進む覚悟のための泥臭い儀式だったとその時は思った。やることが一々泥臭すぎて本当にびっくりした。10周年のお祝いと称して「サプライズ」という名の公式マスゲームまで行われた。「Cling Cling」シングル一枚だけのツアーだから、その余裕に色々な要素を詰め込めたと西脇さんは語っていたけれど、結局この公演は「リベンジ」が起点だったのだ。
Perfumeが明確に自らの公演を「リベンジ」と称したのは何度目の事なのだろう。細かい話をすれば、「ポリリズム」をリリースしたその年に世間的に大きな注目を浴びながらも紅白に出場できず翌年を待った、そういう意味でのリベンジは沢山ある、無数にある。それらを別にすれば、最初に「リベンジ公演」と明確に称したのは広島フラワーフェスティバル凱旋だ。大手を振って広島平和記念公園に設けられたメインステージへメインゲストとしての凱旋。出世物語をリベンジと称しても、多分当時そのステージに目もくれなかった人達を誰も傷つけることも無い。
そして今回、全国を回るツアーの最後に、代々木第一体育館4daysが据えられた。Perfumeはこれを再び「リベンジ公演」と呼んだ。前回の代々木公演は既にブレイクの加速度が頂点に達し、2008年11月、初めての武道館公演、それも二日間公演を成功させ、そして翌月遂に初の紅白出場を成し遂げ、そこで当時のPerfumeは当時考え得る最高の成功を同時に手にしてしまった。そして完全にバーンアウトした。所謂「燃え尽き症候群」という類のものだ。当時の彼女達自身、そしてファンを含めて、ライブアイドルとして武道館以上の何を想像できただろうか。海外進出なんてあの当時は誰も念頭にないから、もう次にあるのは「GLAY EXPO」の幕張20万人という、途方も無くネタに近いもの位しかなかった。
海外公演は勿論、ロックインジャパンやサマソニといった類の「ロックフェス」のメインステージにアイドルが立つことなど想像もできなかった時代でもあり、そもそも「アイドル戦国時代」と呼ばれた狂乱はまだ始まってもいなかった。Perfumeが武道館公演と紅白出場の栄光を手にしたのは、AKB48がキングレコードに移籍して「大声ダイヤモンド」を出したころ、ももクロはまだ結成一年に満たず、和川未優/伊倉愛美/藤白すみれ/柏幸奈がいて、飯田橋ラムラと石丸電気が拠点だった頃の話だ。今ではPerfumeをアイドルと呼ぶことを嫌う向きさえあるが、アイドルに厳しかった世間の空気を180度変えさせたのがPerfumeのブレイクだった。Negiccoの証言を読んでみるといい。*1
そして2009年5月、最初の代々木公演。しかもツアーでなく単発ライブ。武道館公演では公演だけでなく浪花節たる「Dream Fighter」初披露という大きなテーマもあった。それから代々木公演までにリリースされた音源は引き籠りソング「ワンルーム・ディスコ」一枚のみ。武道館公演まで辿りついた後の燃え尽き症候群の中で、Perfumeはこのタイミングでの単発のライブに全く意義を見い出せなかった。そもそも彼女達にとっては「代々木ってどこ?」という程度の話でもあった。ブレイクとともに爆発的に巨大化する箱に演出を追いつかせる事もできなかった。その前年の東名阪ツアーはようやくZEPPクラスの箱だった、そこで急にあの縦に長すぎる巨大な空間で同じことをやってみても、客にそのダンスもサウンドも伝わりようが無かった。それでもPerfumeは果敢にライブに向き合った。どうしたらいいだろうか、三人は死ぬほど頭を悩ませただろう。巨大なミラーボールをレンタルし、過去曲を中田ヤスタカ以外の人間にメガミックスさせるなど、新しい試みも取り入れてみた。しかし当時の彼女達にとって代々木体育館はあまりに巨大すぎた。客との距離はひたすらに遠かった。そこで生まれたのが客をスクリーンに映してのあの執拗な客弄りだった。演出が箱のサイズに追いつかない以上、客とPerfumeの物理的/心理的距離感を保つ方法はそれ位しかなかったのだ。ライブ後、代々木公演はPerfumeの三人の中に、努力した、悩んだ、あれでよかったのか、楽しめたのか、それらを綯交ぜにした苦々しい思い出となって残ることになった。その感情について、Perfumeが語ることはその後一切無かった。WOWOWで流されたそのライブ映像も、「商品化を望む声が多ければ状況が変わるかもしれない」とは言ったものの、現在に至るまでその機会は無かった。
「あのライブは失敗だった」と言えれば楽だろう。楽だろうけれど、あのライブを楽しんだ一万人の観客の感情を考えればそれは得策ではない。口を噤んでいればいい、そしてまた先へ歩き出せばいい。再び彼女達が代々木公演に触れたのは、まさに5年後の全国ツアーが始まる直前のインタビューであり、そして代々木公演を仕掛けたのは、ずっと彼女達を見てきたHOTSTUFFの担当で、そして彼女達は遂に、その公演を「リベンジ公演」と公言した。
結局代々木第一体育館という巨大な空間、しかも平日4日間というタイミングに集まった人達は、その規模からいっても、既に肩肘の張った「リベンジ公演」などというストーリーなどどうでもいい、今のPerfumeを好きな人達なのだから、極度に思いつめていたのもPerfumeの3人と演出までを手掛けたMIKIKO先生位のものではないかという位に気軽なもので、その重々しさも丹下健三の手による重厚かつ荘厳なこの国家事業の為の体育館そのものから発せられるものなんじゃないかという、随分気楽な気持ちでライブに臨んだ。そもそも最初の代々木公演が空回りに終わったのも、会場が縦に長すぎてそれまでのステージ演出が通用しない所が原点にあったのだから、丹下健三が悪いと言ってもそれほど間違いでもないし、この国家事業としての体育館で「We Love Perfume」というマスゲームが行われたのも、ある意味共感という名のナショナリズムに流れていく今の時代には自然なインシデントだったのかもしれない。
今回のツアーはリベンジであり、あるいはアメリカ上陸前のけじめと禊ぎというテーマであり、「Spending all my time」はAstralwerks盤に収録される同曲の「Dimitri Vegas & Like Mike Remix」どころか原曲すらも披露されなかった。さらに言えば「ポリリズム」ですらメインのセットから外してしまった。二日目は「セラミックガール」「I still love U」「Baby cruising Love」それに「Perfume」と随分懐かしい曲がセットリストに並び、千秋楽はとうとう永らく封印されていたメジャーデビュー曲「リニアモーターガール」、そして初回の代々木公演のラストを飾った「願い」が再演された。リベンジらしいリベンジだった。
そういえば、代々木第一体育館は巨大な「体育館」であって、基本的に「音響は最悪」が定説であり、2009年の代々木公演ももれなく随分酷い音響で色々とがっかりしたのを覚えているけれど、今回の音響の改善のされ方は驚異的で、随分後ろの方の席でもそれなりにがっつりしたダンスサウンドが鳴っていた。音響の世界も日進月歩なのだなあと思った。ライブ後の客出しSEはミニマルダブ中心で、あの巨大な虚空をダブの重低音が満たしている様にはなかなかに興奮した。*2
西脇さんが次々と繰り出す「いなほぅ」「くっりっ拾い」「ゆっきっダルマ」といった言葉達のグルーヴ感は最高だった。PTAのコーナーはいまだに大嫌いで、特に今回のツアーでのこのコーナーの長さには辟易したけれど、既存の他人の曲やら「約束げんまん」などを延々繰り返されるのではなく、西脇オリジナルグルーヴが僕の心のドアを叩くならまだまだ自分は踊れる、そんな事がなんだか嬉しかった。楽しいライブだった。Perfumeがこの規模でこんなにも楽しいライブをやってのけるだけの演出力を得ていたことがただただ嬉しかった。急速に肥大してしまったPerfumeのステージ演出がその空間規模に追いついた転換期は「JPN」ツアーだったと思う。極端に巨大な会場での、ステージから一番遠い席に対する「サプライズ」も「JPN」ツアーから始まった。相変わらず彼女達はそのサプライズステージからメインステージまでの「駆けっこ」をやっていた。「LEVEL3」で時代の先に躍り出たPerfumeは、この無駄に縦に長い因縁の会場で、もう一度2007年頃の泥臭いステージをやってみせた。代々木二日目のラスト、「Perfume」で「ぐるぐるゆー」をやってみた。あの頃はそういう事を極端に嫌っていはずだったけれど、今はそれがPerfumeを身近に感じる行為になっていた。記憶は大半が忘却されていくし、それでも残る記憶は思い出として美化される。ゆえに「ぐるぐるゆー」は美しい。でも、2014年にもなってもう一度体験した「ぐるぐるゆー」は、あの日止まった時計をまた動かし始める幸せな物語で、後になって一つ悔やまれるとしたら、「wonder2」で終わった代々木3日目を観られなかった事位だ。
3度目のワールドツアーのオフィシャルスポンサーにデルタ航空。三角形のモチーフに拘り続けてきた彼女達にこの組み合わせは随分気の利いた洒落だ。
ネタバレできないと言うので撮影だけしてきたスタンド花群を並べておこう。
- エーザイ株式会社 チョコラBBチーム一同
- ユースケ・サンタマリア
- KREVA
- V6
- 土田晃之
- ハリセンボン
- マキシマムザホルモン
- NHK MJ
- 日本テレビ LIVE MONSTER
- TBSテレビ カウントダウンTV
- フジテレビジョン バラエティ制作センター 佐々木将
- SPACE SHOWER TV
- MTV
- bayfm78
- WHAT's IN?
- LIVEDAM 第一興商
- テレビブロス編集部
- anan編集部
- ユニバーサルミュージック合同会社 社長 兼 最高経営責任者 藤倉尚
代々木二日目
- Cling Cling
- Handy Man
- Clockwork
- レーザービーム
- MC
- いじわるなハロー
- I still love U
- 恋は前傾姿勢
- music by 中田ヤスタカ
- エレクトロ・ワールド
- DISPLAY
- SEVENTH HEAVEN
- PTAのコーナー
- Party Maker
- GLITTER
- セラミックガール
- ジェニーはご機嫌ななめ
- チョコレイト・ディスコ 2012
- Hold Your Hand
- EN
- Baby cruising Love
- Perfume
ツアー千秋楽
- Cling Cling
- Handy Man
- Clockwork
- レーザービーム
- MC
- いじわるなハロー
- I still love U
- 恋は前傾姿勢
- music by 中田ヤスタカ
- エレクトロ・ワールド
- DISPLAY
- SEVENTH HEAVEN
- PTAのコーナー
- Party Maker
- GLITTER
- セラミックガール
- ジェニーはご機嫌ななめ
- チョコレイト・ディスコ 2012
- EN
- リニアモーターガール
- Perfume
- 願い
- 微かなカオリ (映像)