Aerodynamik - 航空力学

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コレオグラファーMIKIKO「Perfumeのダンススタイルは意図的な創造ではなく、ただただ3人に似合う振付をしただけ」@white-screen.jp

http://white-screen.jp/?p=11567


演出・構成・振付にMIKIKO先生&Tomomi Yoshimura、照明にDumb Type藤本隆行、テクニカルサポートはRhizomatiks真鍋大度/石橋素/比嘉了、映像に関和亮、音楽はKSKと、「Perfumeアルス・エレクトロニカにでも出るのか」という面子をそろえた、MIKIKO&Tomomi Yoshimuraプロデュースのダンスインスタレーション公演「dot.」。*1 その公演についてのインタビューより。


正直なところ、自分はダンスの経験/素養/理解はゼロレベルなので、ダンスについては偉そうにブログで語ることも一切しないのだが、この公演は後学の為にも観ておきたいと思う。




珍しいMIKIKO先生の背景語り。

−広島時代から現在までの、MIKIKOさんのバックグランドについてお聞かせください。


MIKIKO:東京出身なんですが、父の転勤で幼少期から広島に。中学生の時はバトン部でレオタード着て踊ってました(笑)。高校生になって、ダンスをやりたいなって思っていたけど、どこで習えるのか分からずにいたら、高3の時にたまたま同時にバレエとストリートダンスの教室を見つけて必死で通いました。師匠2人ともが日本でも世界でも活躍していて、「場所にこだわらずにやりなさい」と最初から言われていました。要は、広島にいても素晴らしければ東京に呼ばれるし、東京にいても素晴らしければ世界に呼ばれる。「東京じゃないから、私は活躍出来ないんだ」っていう考えはダメだと。その影響で、ダンサーとして東京に行くのは逆に負けた気がしてました(笑)。なので、ダンサーとしてやっている頃は、東京にも部屋は借りているけど、あくまでも拠点は広島です、と言い張ってましたね。


19歳の時からダンスを教えることを始めなければならなくなって、2年後にアクターズスクールが出来て、その第一期生が当時小学5年生だったPerfumeなんです。初めは普通にクラスの中にいる3人だったので、当時は彼女達がこうなるなんて全然想像してなかったです(笑)。割と早くから、教えることや発表会や舞台での作品制作をさせてもらえる環境があって、最初は苦手だったんだけど徐々に好きになっていって、25歳頃に「やっぱり私、自分が表で踊るより創る方が楽しい」ってはっきりした瞬間があったんです。踊れない子が踊れるようになって、人ってこんなに変われるんだ、魅力的に見えるんだって、そこを引き出すのが好きになって。何もない空間を立体的に肉体の動きだけで見せるもの楽しくなって、どんどん作る作業が好きになってのめり込んでいきましたね。


ちょうどその頃、自分で作・演出をした公演「DRESS CODE」っていう女子の心情を描いた舞台をやるきっかけがあって。その公演をアミューズ会長の大里洋吉さんが観に来てて「本格的に演出の勉強したら?」ってことになって、「ダンサーとして表に出るのはここで辞めて、作る側に回ろう」と決意したのが27歳の頃です。

Amuseのミドルティーンアイドル「さくら学院」の「バトン部 Twinklestars」のコンセプトは、まずバトン部出身のMIKIKO先生ありき。


高校3年でダンスを始め、19歳からダンスを教え始め、21歳でアクターズスクール広島の講師となり、その一期生のPerfumeと「水野先生」の、現在に至る関係が始まる。なんというスピード感。つまり水野先生は当時まだダンス歴5年だったという。


そしてAmuse大里会長と出会い、最初の師匠から受けた「広島拠点」という拘りを捨てて上京、そのまま会長の「東京で勉強しても意味ないから本場に行け」との指示で、いきなり1年半のニューヨークへのダンス留学が始まる。NYのダンススクールでは、ビヨンセの振り付けも手掛けるJONTEと同クラスだったという発言も過去にあったはず。ちなみに、この2007年当時のPerfumeは、「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」を自分達で振り付け、「チョコレイト・ディスコ」「Twinkle Snow Powdery Snow」についてはNYから振付指示が断片的に入っただけのビデオを送ってもらって、自分達でフォーメーションを整えた。続く「ポリリズム」も先行CM部分は香瑠鼓が担当。MIKIKO先生は、帰国してから、Perfumeのブレイクを知ることになる。



MIKIKOさんのダンスのスタイルはどう呼べばいいでしょうか?


MIKIKO:「何のジャンル?」ってよく聞かれるんですけど、やっていたバレエ、ヒップホップ、ジャズの要素がミックスされつつ、自分の体形に合うスタイルになりました。今のPerfumeがやっているような振りは何ジャンルかと良く聞かれますが、ジャンルは分かんないです(笑)。いろんなものがミックスされて今のスタイルが出来ています。


Perfumeのあのスタイルって意図的に創り上げたんですか?


MIKIKO実は、全然意識したことはなくて、ただただ3人に似合う振り付けをと思って作りました。そして私も踊っていて楽しいものを(笑)。13年間の付き合いにもなるとまさに自分がやりたい動きを体現してくれてる。すべて消化してそのまま表現してくれて、そこのストレスがない。初めて会う人にちょっとした首の角度といったニュアンスはどうしても伝えきれなくて、でも短時間で振り付けを入れないといけないことも多いので、消化不良の時は寿命が縮むほどストレスを感じます(笑)。

Perfumeの振付に特定のジャンル名称は無く、あの独特のスタイルも、意図的なものではなく、三人に似合うもの、そして自分が踊って楽しいものを追求した結果だという。



−「バーレスク」のようなダンスショーなどの影響も受けているんでしょうか?


MIKIKO:映画「キャバレー」、「スイートチャリティー」、「オール・ザット・ジャズ」の振付師ボブ・フォッシーは尊敬する振付師の一人です。「オール・ザット・ジャズ」は彼の半生を描いた映画で、本人が映画監督もした作品ですが、その中でもダンスのシーンがよく出てくるんです。彼の振り付けは特徴的で、ガーーッて踊ってるわけじゃないんだけど、振り付けが効いているんです。うん。すごく絶妙なところで敢えて立って肩だけしか動かさないとかのセンス! 「凄く踊れるんです」っていうんじゃなくて、凄く踊れる人を敢えて必死に踊らせない。あんまり踊らないで魅せるっていうのはダンスの上手さがないと出来ない。Perfumeにもその要素はありますね。「あんまり腰回されても・・・」みたいな(笑)。敢えて女性っぽさをそういうところでは表現しないようにしてたりとか。その方が品の良いセクシーさだったりするんですよね。

Bob Fosseといえば「シカゴ」の人だという事くらいはダンスに疎い自分でも知っている。「シカゴ」と言えば、かつてのPerfumeも在籍したAmuseのガールズグループ育成プロジェクト「BEE-HIVE」の日本青年館公演「Amuse presents BEE-HIVE revue 2003 Honey Harmony 〜蜜蜂達のはばたき〜」で、「シカゴ」をベースにしたミュージカルが大里会長の指示により披露されている。衣装はみな黒のレオタードとガーターベルトで、西脇さんが2010年の「いいとも」の「テレフォンショッキング」で中指を立てて説明した挙句「血迷っていた」と言ったあれだ。


凄く踊れる人を敢えて必死に踊らせない、女性っぽさを「腰を回す」といったことで表現しないことで品の良いセクシーさを出す。Perfumeの振付の方向性についての言及は、ぴあ掲載時*2 や、過去のQJ特集時に詳しい。




Bob Fosseの自伝映画「All That Jazz」1979 より。観るなら09:00で止めるように。




−最後に、最近気になるダンス・カンパニーがあれば教えてください。


MIKIKO:照明、映像、インタラクティブなど、総合芸術として捉えているカンパニーにやっぱり興味があります。また、それとは違いますが、ニューヨークで一番衝撃を受けたのは「fuerzabruta」です。

MIKIKO先生が、振付視点から総合演出へ実績を広げていくことは、Perfumeのライブにおけるそのフィードバックへの期待値へと繋がる。


FuerzaBruta Trailer



−一番好きな映画は何ですか?


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