前号、近田春夫の「考えるヒット」737回。今回はきゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」。
中田ヤスタカの前向きな姿勢ときゃりーぱみゅぱみゅの相性良し!!
個人的に流行音楽を選ぶ時のポイントは好き嫌いではなく「前向きな姿勢」が感じられるかどうかだ。それは醸し出されるものの量や質、方向性などから経験的に推測されるが、平たく言えば総体としての新鮮さをチェックしているのだと思う。ただJポップ一般の場合”今までにないもの、聞いたことのない音”といった事への拘りがそれほど強くあるとも思えないので、果たしてそうした物差しが意味を持つかどうかはよく分からないですけど。
中田ヤスタカがやはり気になるのは、いつも何かしら新しくあろうとする意思が作品に依然として感じられるからである。最新プロデュース曲、きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」はどうなっているのか。さっそく聴いてみることにした。
いきなりトイピアノだかグロッケンだかが可愛らしく駆け上がると”お菓子の国”のような、しかしどこかダークな感もある。ファンタジー色の強い音色のトラックとともに歌が始まった。エイトビート系の四つ打ちに高く響く可愛い(というより幼い)声は、系譜的にはYUKIかもしれないが、もっと人工的でどこか漫画っぽい。まさに芸名通りの世界だ。
きゃりーぱみゅぱみゅはとてもハキハキと唱歌でも歌うように曲をこなしてゆく。その辺りの”ノリ”はPerfumeなどとは全然違うだろう。より同性の方を向いたつくりにも思える。何しろ彼女の歌はいわゆる「セックス」的なものを一切連想させないのだ。
では何を連想したかというとNHK「みんなの歌」なのだけれど先に述べた”ダーク感”が隠し味となって、微妙だが景色の位相がずれたようにも思え潜在意識に異物感を残す。聴きこむと案外不思議な、たとえば”ティム・バートンの映像のような”音といえばいいか。中田ヤスタカはさりげなく視覚に訴えてくるような音色のジャッジが本当に上手いと思った。
この音像から何を感じるか。まだ中田ヤスタカはJポップ(というもの)に対して巧妙に反逆を続けているのか、あるいは……? 前向きな姿勢は相変わらず十分に感じられるとして、どちらを向いて前に進もうとしているのだろう。
どうとでも判断できる曖昧さを残しつつ、きゃりーぱみゅぱみゅのイメージを王道感を持ってまとめあげたこの作品、ちょっと職人ぽい隙の無い仕上がり過ぎるのが気になる所だが、二人の相性はなかなか悪くないと思ったのだった。
蛇足だが「ぱみゅぱみゅ」って本当に発音が難しい。これが競馬ウマの名前だったら実況のアナウンサーかなり大変だったよね。
広く知られたグリム寓話の、その原作のように、幻想的で悪趣味で、異形でかつ純粋。これは近田氏の言うように「ティム・バートン」そのものの世界であるし、また、それは、「PONPONPON」を含む、前作「もしもし原宿」にはない世界だ。前作までの悪趣味感というのは、楽曲ではなく、主にPVを初めとするビジュアル面によって構成されていた印象が強い。また、それは「目玉」や「骨」といった、ある種の「グロかわ」なポップさを伴っていた。
常に寝不足であるかのような眼をしたきゃりーぱみゅぱみゅ、その存在自体が不穏な空気を纏ってはいるが、今作「つけまつける」での不穏さは、一連のサビで無理目な発声をさせていることによる、声の不安定さによるものなのかもしれないし、何度もはっとさせられるほどの前向きネガティヴな歌詞は、「付けるタイプの魔法」である「つけま」で対外的な鎧を作りながら、却ってきゃりーの内面の脆弱さを曝け出しているようにも思える。PVでは前作の「過剰なポップ」というよりも、あからさまにオカルト的な記号が散りばめられていることもまた、その不穏さを拡大させている要因だろう。
「J-POPへの反逆」という観点において、「つけまつける」のトラック自体はかっちり作られたポップスであり、これはやはり「王道感」といえるだろう。一方で、詞と歌の乗った楽曲、そしてPVを含めた全体の像は、あまりにも不穏な空気に満ちていて、聴く度にその二者のギャップに混乱させられる。「PONPONPON」のように、軽々しく何度もループできるポップな作りではない。
きゃりーぱみゅぱみゅのパーソナリティーが単に「可愛らしいモデル」でないことは、彼女のブログなりTwitterなりを少し眺めただけでも伝わってくる。多分にグロテスクな要素を含んだ「それ」を体現している「つけまつける」。そしてそれ/彼女は、お茶の間に賑やかに提供できるような、どちらもポップなサウンド/キャラクターに包まれてはいるが、内包するものがあまりに不穏だからゆえの、ある種異様なギャップを伴う微妙なバランスの上に成り立っている。この奇妙さ/異形さを、どこまでもオーセンティックにポップなJ-POP楽曲として世の中に提示するのなら、それはヤスタカの意図的な「J-POPへの反逆」であり、世間に対する前向きで意地悪な挑戦に他ならない。かつてのPerfumeが、「アイドルソング」という、ある程度平穏さが約束されているフォーマット上にありながら、その時代に最も尖った音を内包するという異形さをもって、世間に提供されたのと同じように。
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