Aerodynamik - 航空力学

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日記といっても先週のことなんだけど、今ふと思い出したこと。


職場で新人歓迎会と称した飲み会があった。
30代独身女性たちが、「どうせ私は女の負け犬だし」「負け犬だから○○だよね」などと言っていたので、「なんですか?負け犬って言葉流行ってるんですか?」と聞くと、そうだという。「負け組」でなく「負け犬」らしい。


「どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは「女の負け犬」なのです。」という、「負け犬の遠吠え」ISBN:4062121182 という本が流行っていたらしい。自分のアンテナからは完全に外れていた。
おまけに最近では「女の負け犬」をテーマにした単発ドラマが高評だったらしい。


昼休みにググってみると、この「負け犬の遠吠え」の評価は真っ二つに割れていた。
「ふざけるな」「単純に決めるけるな」的なものと、「共感できて大いに笑えた」「なかなか鋭い観察眼だ」というものが大枠といったところか。


amazonのレビューから引用。

思うに、「親は喜んでないけど、これは私の選んできた人生だし、これでいいわ」と思っている人はゲラゲラ笑える。
「これは不本意な私。かりそめの私。そんなこと思い起こさせられたくないわ」という人は、過剰反応するのでは?

これに尽きるのだろう。
自虐的なものをユーモアとして捉えられない人は読むべきでなさそうだ。



ただ、負け犬の反対の勝ち犬は何かというと、どうもバブル期を20代前半に通ってきた、絵に書いたような小マダム(死語)、いまでいう「セレブ主婦」のようで、それはちょっと共感できない。
この勝ち犬達は、金銭的余裕はあるが、「勝ち」を演出することに必死になっている。セレブになりたい、セレブであろうと常に必死のようだ。
自由が丘・白金・芦屋だのとテレビは騒ぎ立て、「セレブ」主婦のファッションやライフスタイルを雑誌でチェックして模倣し続け、プライドを保っている「自称セレブ主婦」たちの必死ぶりは、自分には滑稽にすら見える。そこには個性もやりたいことも見えない。ただ「セレブ」であることを演じ続けなければならないプレッシャーが見えてしまうのだ。(歪んだ自分の目には。)
せっかくの金銭的余裕を、「私たちプチセレブ」みたいな方向にしか持っていけない人たちを、「勝ち犬」とはあまり呼びたくない。



勝ち負けとか結婚とかファッションとか、そういったものをすっぱり切ってしまって、自分の生きたいように生きている30代女性が知人にいる。
彼女は、恋愛対象とかそういうものとは別世界で、とても魅力的だ。負け犬なんていわれたら、「なに言ってんの、ばっかじゃない」と笑って答えるだろう。そんな割りきりが出来る人が本当にうらやましい。彼女こそ勝ち犬だ。