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過去10年間を1年づつ振り返る企画、今回は迷走、そしてメジャーデビューに至る2005年。
珍しく「打ち水」「アキハバラブ」などについて語られたが、やはり印象的なのは、Perfumeメジャーデビューに際しての、徳間ジャパンお偉方の「思い出」発言*1 についての補完。
あ:あれ覚えてる?あれさ、レコード会社の方に挨拶みたいなの行って、会議みたいな、新曲とかメジャーデビューとか、そういうのやる人が挨拶しに来る会議現場みたいな所で・・・
か:覚えとる覚えとる。色んなとこ回ったよね。
あ:そうそう、「Perfumeですよろしくお願いします」みたいな。「制服で来てるよー」みたいな事言われて。で凄い「頑張ってね」みたいなこと言われたから、「頑張ります」みたいな、前向きな感じになったのに、終わって偉い人に一杯挨拶しに行ったじゃん、「なんとか部長さんです」「どうもお願いします」「なんとか課長さんです」「どうもよろしくお願いします」「社長さんです」「よろしくお願いします」、「この人がPerfumeを繋ぎ止めてくれた凄い人です」「はっっ!よろしくお願いしますー!!」(笑)。それで言ったんだけど、「ま、あと三枚、三枚出してあげるから。まあいい思い出に。次の道も考えといてよ」みたいな。
か:そうそう。
あ:そういう事をね。
か:高二だっけ?
あ:高校二年生。
か:「いい経験になるから」みたいなね。
あ:「えっ!」って。「今、今いい感じに行こうって時なのに」みたいな。一杯挨拶して、超前向きな気持ちになって頑張りたいって思いでさ、溢れんばかりなのにさ。
か:希望に溢れとった時よね。やっとメジャーデビューが出来るってなって。
あ:でさ、本当に「ありがとうございますありがとうございます」ってさ、もう顔なんて上がんないわけよ。もうずっとこの状態ですよ。びっくりしたよね。
か:その一言にね・・・
の:「いい経験なんじゃない?」みたいな事言われて。
か:「おいおい」って。
あ:「えーっ」て思って。それまでは何を言われても、なんか衣装がさ、結構、勝手にクールビューティーみたいなキャッチコピーになっとってさ。
の:「リニアモーターガール」、あれ黒い衣装で。
か:インディーズはレトロだったけど、急に近未来に変わっちゃったんだよね。
あ:シュッシュッとしとってさ。
か:サイバー的なね。
あ:て感じになって、びっくりしたじゃん。
か:「スリットどこまで入ってるの?」みたいな。
あ:スリットここまで入っとったよね
か:腰まで入ってたね。「スパッツ見えてます」っていう。
あ:近未来的なハイレグだよ。結構衣装もこんな感じだしさ、絵とか見せられてさ、「こんな感じの世界観で行くから」って言われてさあ、びっくりしたじゃん。なんところにさ、「三枚だけ出してあげるから」。「ぎぃえぇぇー」みたいな。
の:すっごい悔しかったよね。
あ:めっちゃ悔しかったよね。
あ:あの時だけ話したよね。
か:帰り道に。
の:のっちほんとに、結成してから、短いとかさ、その場だけのグループって訳でもないし、それをさ、なんかずっと頑張ってきたのに、ぽんと入ったレコード会社の偉い何も分からん人にさ、なんか「三枚だけ出してもう解散していい思い出」みたいな。「思い出?」みたいな。「これから私達頑張っていくのに、なに言ってんの」と思って。三人で帰り道歩きながら、凄い言ってたよねなんか。「なんなん?なんだあれ」
あ:言ってた。珍しく。広島弁炸裂みたいな感じで。
の:珍しくね、悔しくて。
あ:同じように思っとったしね。あの坂道は忘れんね。
の:ねー。あの坂道ね。
か:忘れんね。
あ:あの坂道は忘れん。
の:ま、今となってはその悔しさっていうのが凄くバネになったな。
か:言ってもらえたからこそもっと強く、メジャーデビュー後も頑張っていこうって思う気持ちが出てきて。
あ:そうだね。今はカツサンド持ってきてくれるよね。
か:差し入れね。
の:あの時のね、悔しさってのは忘れられないですね。
どんな意図で言ったにせよ、さすがに「いい思い出に」は無配慮に過ぎる。売れるアイドルなどほんの一握りだから、「次の道も考えといてよ」は大人の優しさなのだ、と前向きに捉えることは、いくらなんでもこのタイミングでは難しい。メジャーデビューに際しても「これで売れなかったら本当に最後」という崖っぷち状態の心意気でいた17歳の少女達にとっては、あまりに衝撃的な言葉であっただろう。「今となっては」と言う事ができる現在があるのが、本当に救いだ。
そして、新事実としては、当初の契約は「3枚リリース」だった事がここで分かる。いわゆる「近未来三部作」だ。3枚で一端の仕切り、というのは契約としては良くあるパターンだ。とはいえ、「エレクトロ・ワールド」が出るときは既に「Complete Best」がリリースされることは分かっていた。つまり、シングルを3枚出して、これまでの活動をまとめたベスト盤で全てが終了、という道筋が、徳間ジャパン側、それも、「Perfumeを繋ぎ止めてくれた人」にとってでさえも、既定路線だった。当時は誰も、今のPerfumeを描くことは出来なかった。誰にも、出来るわけが無かった。